中野中の足裏庵日記 -2-  吉岡正人をめぐる二つの秘話

吉岡正人

某月某日
 埼玉県の南西部、秩父山地の山裾に位置する越生(おごせ)町へ出かける。越生は梅林や太田道灌の山吹の里で知られるが、美術関係では古い農家をそのままギャラリーとしている山猫軒があり、また近年何人もの画家がアトリエを構えてもいる。
その一人、吉岡正人さんのアトリエを訪れた。かって絹糸で栄えた名残の昭和初期の和洋折衷の木造館の一部をアトリエに、秋の二紀展へ向けて大作の制作中。その日は猛烈な暑さであったが、アトリエには冷房がなく扇風機がカタカタまわっていた。
吉岡さんといえば、廣野の地平を雲が流れ、湿り気を帯びた大気に包まれた静寂の大地の中に、中世の西欧のどこかの国を思わせる館や城塞がひっそりと建ち、それを背に物憂い顔の若い女性がたたずみ、紺青の空に星が・・・といった、刻が静止したかのような、ややミステリアスな作風で知られる。
思いつくままに(というのも、あまりの暑さに思考がとんでしまって)いろいろお話を伺ったが、印象深かった次の二つをご紹介しておきたい。
吉岡さんは、おどろくべきことに小学4年生ですでに水彩の自画像を描き(何という早稲だ)、高校1年生から意図的に自画像を描き続けているという。意図的というのは、有名な画家の回顧展などには必ずと言えるほど、若き自画像が展示され、画家の成長や変遷が辿られる、自分もいずれそういう画家になるから、若いうちから用意を怠らないようにした、というのだ。バラエティ番組なら、この話の瞬間全員ズッコケて床に倒れる場面である。しかし、吉岡さんの口から淡々と語られると、何の嫌味もなく素直に納得できてしまうのだ。嗚呼!!
もう一つ。当然受かるべき芸大(本人の弁)に落第し、渡欧。その頃の逸話から。
カンヌの山下充さんのアトリエに1か月ほど居候をしていたある日の午下がり。外でお子さんと遊んでいた奥様が血相変えて駆け戻ってアトリエのドアを激しくノックする。「アナタ!大変なの、ケガをして出血がすごいの」と叫ぶ。がイーゼルに向かって制作中の画家はドアをふり向こうとさえしない。制作に集中しきっており、傍らの吉岡さんはどうしてよいのか戸惑った。結果的には大したことなく済んだのだが、画家とはこうまで・・・と目から鱗というか、画家の有りようにビックリ体験のひと駒だった。
なお、もう一筆サービス。
吉岡さんの趣味、それは? とクイズにしたいくらいの難問、イメージの乖離。プロボクシング観戦、だそうです。
 


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