中野中の足裏庵日記 -4-  前島隆宇の「宇宙律」

前島隆宇

某月某日
「生命の細胞の在り方と宇宙律(秩序)は等質である」
『天景』と題する作品写真の下に、たった1行、右のフレーズを記したハガキが届けられた。<前島隆宇小品展>(11/05〜/17、銀座・高輪画廊)の案内状である。
会場には、『天景』を主題にした4号から10号大ほどの近・新作約20点と縦162センチ、横260センチという大作が展示された。『天景』はすでに長い間追求してきた、前島さんのテーマである。
それにしても、「生命の細胞の在り方と宇宙律は等質である」とは何とも壮大であり、哲学的であることか。しかもその作品題名の『天景』は、なんとも美しくロマンチックな響きをもつ。これはいわば一つの象徴なのであろうが、それはまた普遍につながるものであろう。こうしたテーマに如何にして到ったのか、興味あるところだ。
そのあたりを今回の個展の機会にじっくり伺うつもりであったが、初日に拝見したきり、風邪などめったにひかぬ私が、鬼の霍乱(かくらん=突然乱れる事)でもあろうか、すっかり体調を崩し、いくらか治り気味のとき、地方取材の強行軍でぶり返しなどの悪循環で、2週間の会期(高輪画廊は2週間開催がベース)中、ついに行けずじまいに終わってしまった。が、幸いにもこれまで何度かお話を伺っている、それを思い返し、つなぎ合わせて何とか辻褄を合わせようと思う。
前島さんは美大の1年生のとき、同じものを見詰め続けたら、何が見えるようになるのだろうかと、1年365日、1日も休まず自分の顔のデッサンを続けたという。それでどうなったかは聞きそびれたが、絵を描くという意味を真剣に問うていた真面目な学生だったということだ。がその生真面目さが裏に出て、美大を卒てからは、何を描いても自分の絵が見つからず(たぶん、例えばセザンヌやマティス等だれそれ風になってしまう)、絵が描けなくなってしまった。
長いスランプに陥ったが、脱ぎ捨てられた衣を三つだけ、アンフォルメ風に描いた作品で打破出来た。つまり、人間を描くのに、見える姿ばかりを追って、その姿形に近づけば近づくほど、中味の人間、つまり、真の実在から遠のいてしまう。そのことに気付いたのだ。人間をとらえるとき、その人間の脱ぎ捨てたコートを描くことで、逆に人間存在に迫れたということだろう。
以来、前島さんは捨てることに徹した。捨てて捨てて捨てきったその後に残るもの、それは「生きるいのち」であり、しかも「時代・空間を超えてなお在るいのち」だということを発見した。この発見が、冒頭の1行につながっていくのだ。
つまり、人間像を追求していくうちに人間の細胞律と宇宙律が一線であり、同質、等価であることに気付き、この律を自然感としてモノを認識するようになった。それは空間感の本質的拡大ということであり、更に超時間的な姿として表現するよう試みている。それが「天景」シリーズなのである。
会場では大作と小品群が呼応し交響し、また観る者と作家の呼気が共鳴し(ときに反撥もしながら)、全体が秩序ある命のリズムの中に在った、と言ったら些か表現が過ぎるが、確かなことは、自分の存在、それは地球の公転自転の律と重なり合っているんだという思いは少なくとも抱かせたであろう。すでに私たちは前島さんの術中に嵌まりはじめている・・・。


前島隆宇 まえじま・たかう
1930年 静岡市生まれ
1952年 武蔵野美術大学油絵科卒業
1969年 西ドイツ遊学、Kiel博物館に1年間在籍し、この間フランス、オーストリア、オランダ、イギリス、北欧各地を研修
  Schleswing-Holstein 州美術家・美術教育者シンポジウムに招待参加
1980年 U.S.A.フロリダ州美術大学より招聘個展
1998年 東京国際美術館企画・画業50年記念展
現在  近代美術協会代表

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