中野中の足裏庵日記 -9-  大橋みやこ展 - 期待ふくらむ初個展 -

大橋みやこ


某月某日
1年ほども前になろうか。高輪画廊にぶらりと立寄ると、三岸太郎さんが「楽しみな若手を見つけたよ」とニコニコしながら、奥から何点か持ち出して見せて下さった。同時に若いスラリとした女性を紹介された。それが大橋みやこさんであった。
海があったり、森らしき風景があったり、一本道が伸びていたり・・・、そんな風景らしき作品が、重い色調で描かれていたと思う。中に、一見して何を描いたか判然としなかったが、色調と色面の重なり具合の面白いのがあって、これはいいなぁと感じた記憶がある。しかし全体に何を描きたいのか漠然としており、しかも作品になにかオドオドしている不安気な筆運びが感じられて、ちょっと心配だった。



某月某日
その彼女の個展(3/11〜/23)である。三岸さんの、将来性のある若手に機会を与えたいとする、昨年からスタートさせた若手シリーズの一環としての積極的な試みだ。
もちろん、大橋みやこは初個展。画廊には100号から0号まで30点ほどが並べられていた。『でんきのき』は送電搭と変電所であり、『居場所』はいつも彼女が散歩する雑木林であり、街並や浜辺などいずれも彼女の日常の生活圏で目にする風景なのだろう。あるいは『3つのカップ』『花』などの静物画もある。
何よりも1年前にくらべて画面が伸びやかになった。不安気な表情が消えて、描くことに集中している力強さがある。作品のいくつかにド・スタールを思わせる色遣いがあるが、かまうことはない。いや、むしろ追求するくらいがいい。真似ではない、自分の色遣いと色面構成の芽生えが、すでにあるのだから。自分の日常の中で見たもの感じたものを描くがいい。そうした中で自分探しをするがいい。
大橋みやこの作品には人っ子一人登場しないが、少しも寂しくない。それは、自分がいつも絵の中にいるからだろう。
もっともっと風景と同化して、色調にいっそうの透明感がうまれ、構成に緊密性が出てきたら、空間がはるかに豊かに響くだろう・・・、若い彼女に性急な要求をしてはいけないが、そのスケールの大きさに期待はふくらむ。

某月某日
彼女が南仏の光の中で制作している夢を見た。三岸黄太郎さんの「南仏でしばらく制作したら・・・」というつぶやきが耳朶に残っていたのだろう。


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