中野中の足裏庵日記 -10-  高瀬あおい展 - 逆光の中に -

高瀬あおい


某月某日
高瀬あおいさんは多摩美術大学に学び、卒業したその年1972年に渡仏、翌年まで滞在。初個展は86年に開催、その後は2年に1度のペースで続けている。また、96,98年にはご主人の洋画家富沢文勝さんと2人展を開いてもいる。かなり意欲的、頑張りペースと言えよう。
ところが、盲点に入ってしまったのか、かなり足まめに歩いているつもりの私だが、このどれをも私は見ていない。不勉強を恥じるしかない。したがって今回が初見である。もちろん高輪画廊での個展も高瀬さんは初めてである。

某月某日
カニサボテン、トルコキキョウ、蘭、ひまわり、チューリップ、紫陽花、シクラメン、バラなどの花々の作品(20号〜3号大、約20点)が並んでいる。それらのほとんどが花瓶や壺と共に描かれている。あるいはレモンや瓶を脇に置いてみたり、リンゴ3個だけを描いたりもしている。
ふつう、花を描けば花が主役であるのが当り前なのだが、高瀬さんの場合、どうやらそうとばかりは言えそうもない。花と壺がモティーフとしてほとんど等価であったり、時に壺や花瓶が主役であったりする。それは単に花の彩りの美しさや生態や形の面白さを求めているからではないからなのだ。 「ひざし」「薄日のさす卓上」というタイトルからもわかるが、彼女の最大関心事は《光》にある。いや、光といっては正確ではない。光が織りなす《蔭影(かげ)》にある。
そのことは奥の小部屋に展示された水彩の小品を見ると更によく解る。

某月某日
花も花瓶もすべて逆光の中にある。その光は絹のカーテンレースやブラインドを透過した、あるいは冬の陽光のように柔らかくて優しい光である。直射する強い光ではない。 部屋いっぱいに遍在する明かりがわずかに生み出す蔭影のようなわずかな存在。文豪谷崎潤一郎が喝破した障子越しの、深い庇をくぐってくる明かり、それこそが日本人の美の感性と述べているそんな柔和な光が織りなす蔭影。それこそがテーマなのだ。
だから花々はその固有色をわずかにとどめるに過ぎない。白を基調とした淡い色彩の中に確かな存在を示す逆光の静物。背景も説明を極力省略・整理して空間に奥行きをつくる、そのことで淡い主役(花と花瓶・壺)の存在を確かにしていく。
逆光の美学を追求する高瀬あおいさんの感性に私はすっかり嵌まり込みそうになっている。



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