中野中の足裏庵日記  -13-   ― 素描を楽しむ ―

高輪画廊展覧会、素描展写真


某月某日
【素描】だけをまとめて見る機会というのはあまりないように思う。銀座・松屋では定期的に一作家の【スケッチ】展を開催しているが、近年は【ドローイング】展と称する展覧会にしばしば出会う。 高輪画廊では一昨年の『デッサン』展に次ぐ今回の『素描』展(7/15〜27)ということである。
さて、ここで私は早くも筆が進まなくなってしまった。【素描】といい【スケッチ】といい、あるいは【デッサン】【ドローイング】と何がどう違うのか。 何となく、漠然とわかっているつもりだが、言葉で的確に表現は出来そうにない。 そこで手許にある『新潮世界美術辞典』を借りて解明してみたい。いささか煩わしいがお付き合い願いたい。

某月某日
【素描】とは、比較的限られた紙面に、人物・風景などを黒あるいはセピアなどの単色の線で、ごく簡単に描き出したものであって、陰影や色彩が施される場合もあるが、主体は描線である。
ここまではわかる。が、この先がややこしくなる。
制作の目的、ないし動機によって、クロッキー・スケッチ・エスキース・下絵・エボーシュ・カルトン・エチュードなどで呼ばれる、とある。 素描は仏語でDessin,英語でDrawing,独語でHandzeichnungともある。
いずれにしろ、これらは本来創作の予備的、準備的段階における副産物である。それが近代以降、特有の芸術的価値が認識され、素描自体を目的とするようにもなって、絵画の一分野として評価されるようになった、ということなのだろう。

某月某日
今回の素描展はベテランから新人まで15作家15点に、特別展示の三岸好太郎、三岸節子の2点が並ぶ。グワッシュ、水彩、油彩、パステル等々であり、 風景、人物、花から抽象まで多様、どれが素描でスケッチでエテュードかはともかくとして、共通項は紙に描かれているということくらい。 それほど多種多彩だが、やはりタブローにはうかがいにくい作家の素顔が見えてくる。 それは又、タブローへ向かう最初(あるいはそれに近い)の心構えや姿勢、あるいは懸隔の距離などがうかがえて楽しい。
【素描】にはそれぞれの作家の【素(地)】が見えてくる、それを楽しむのが素描を見る醍醐味ということだろいうか。
三岸節子の『ニース旧港』はほぼ50年前の作品で、初めてフランスを旅した時の所産。 一年半の渡仏で「絵とは自分の中の日本人の血が描かせるのだ、それがなければ世界に対する発言力がない。」という結論を得た、というエピソードが『新美術新聞』(7/21号)に紹介されている。 会場で作品を目前に当の作家から製作意図や思いが聞けたりすると楽しみは倍価する。


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