中野中の足裏庵日記  -14-   ― 三岸節子、美の源泉 ―

高輪画廊展覧会、三岸節子デッサン展写真


某月某日
【アルチザンはアネモネをアネモネらしく巧妙に形体は模倣し得ても、アネモネの美の精神は表現出来ないのです。生命を与えて作品じしんが感動を呼び起こす迄には到底至らないのです。 つまり技術の練磨はし得ても生命を吹き込む術を知らない精神なのです。
このアネモネに個性の表現が与えられて、人間の人格まで表現し或いは深い思想の感得が現れ、更に広く宇宙の神秘も愛も伝え得る大美術が真のアルチストの美術領域です。 生命が美しく昇華したのが美術と名づくべきものなのです。】━『三岸節子画集U』(1981年・求龍堂刊)「美の発見」より━

単彩とは聞き慣れない言い方だが、三岸節子が<色彩>画家と呼ばれていることを前提にするならば、<単彩>とあえて銘打った主催者の思いが良くわかる。
事実、このデッサン展はすべて<単彩>であって、黒色のみ、色彩はいっさい用いられていないものばかりが並べられた。これは初の試み展であるという。
すべて黒、それも油彩がほとんどで、時に溶き油が紙に滲んでいたりもしている。すべて小品で、大きいもので37.5×25.5cm、小さなものは13.5×18.5cmほどだから、号に換算すると5号弱から0号ぐらいの 大きさに相当する。

某月某日
30点近い出品のうち、ほとんどが花で、他に埴輪や太陽と月、ヴィオロン弾きやマリア像がバラエティをつくっている。 勢いよく一筆で壺や花瓶を描き、花はマルを重ねたり、リズミカルなタッチで闊達な描写ぶりである。 興にまかせて、といっては言い過ぎかもしれぬが、パレットに残った黒色絵具を固い筆で、太々と描いている。それがやさしく温もりを感じさせ、何よりも直覚的に対象をとらえる眼の鋭さと精神の屹立を思わせてくる。
いわば冒頭に引用した<生命を吹きこむ術を知った精神>が、たった一枚のデッサンに感得されるのだ。
数々の花の名作、それは<花より花らしく>と評価されるが、それらの名作がこれらのデッサンを見ていると想起されてくる。 油彩タブローのエスキースとしてのデッサン一枚一枚が、あの数々の傑作の<美の源泉>であることは素直に首肯される。


中野中プロフィール/足裏庵日記バックナンバー
HOMEロゴ