某月某日
小春日和の一日、大和市の郊外の近馬治先生のアトリエを訪問した。
近馬邸は門を入るとかなりの樹齢の桜の大木が枝を広げ、庭には奥様丹精の花々が咲き乱れていた。
とっつきのアトリエは父の代からのものらしく、かなり古びてはいるがしっかりとした造りのものだ。
中にはイーゼルの上に描きかけの作品が、そして壁は大小の作品で埋め尽くされ、床にも作品が積み立てられ、わずかにのぞく床板は飛び散った絵具で汚れ放題。
天井近くの高窓から午後の光が柔かく射し込んでいる。
近馬先生はこのアトリエで日がな一日、制作に没頭。日が暮れるとアルコールを楽しむ。それが毎日繰り返される。酔った姿からは想像もつかぬほど、制作も生活も大まじめな日々なのである。
近馬先生は1960年代をほぼパリを拠点に画家の修行をした。その頃、慎子夫人と劇的な出会いをしたことは今でも仲間うちの語り草になっている。
今でも慎子(しんこ)、治ちゃんと呼び合う中だが、慎子夫人によれば、「その頃、パリにいた日本人で車を持っている人は少なかった、ポンコツのフォルクスワーゲン、便利だったし、ずいぶんドライブに
誘ってもらったわ。年も離れていたし、安心だったしね。」とのこと。
ヨーロッパ時代はずいぶん楽しかったようだ。
居間での話題もパリ時代の放談となった。
放談には時々フランス語が入って、私は一人蚊帳の外にならざるを得なかった。
──マルローが街中掃除させてパリはすっかりきれいになってしまったが、1960年代は古びて汚れて、これが僕らにはきれいで、描きたい意欲をそそられたもんだ。
──オペラ座もノートルダムもあの頃は黒々してて、点景人物を置いてもよく似合ったし。車も今のじゃ絵にならない。クラシックカーだったらいいけどね。
──でもどんなにカラフルな車でもやっぱりぼくは真黒にしちまう。マルケの絵のように橋の上を馬車がいく、カフェから聴こえるピアフのシャンソンがよく似合う、そんな気分があった。
──パリだけじゃない。ベルギーのブルッセルの広場、あのグラン・パレ辺りも灰燼で煤けてて、夢中で何枚も描いた。今、マンションが建っちゃって絵にならない。
──どうして黒くなっちゃうのかね。着る物も割と黒っぽいのが好きだし・・・。風景でも人物でも昔のスケッチをとり出して、ああでもない、こうでもないと
考えながらいろいろ思い出しているんだネ。描いているうちにいつの間にか黒くなっている。
パリ時代、パリの画商に<コンマの黒はマネの黒のように美しい>とほめられた事があると慎子夫人の証言だが、資質的に好きだった黒に、
このこともあって一層こだわるようになったのかも知れない。
パリの街角も教会も、酒場の女も、みんな黒々している。黒々しているが少しも暗くはない。
いつの間にか厚い層をつくる黒の中からキラメく光がある。近馬治の想いがある。
じっくり眺めていると、ナイフの抉った絵具のすき間から、絵筆の繰り返されたタッチの中から、デェジャ・ヴィユーにも似た、どこか懐かし気な思いが匂い立ってくるのだ。
いつの間にかワインが入り、話がどんどん横道にそれ、フランス語が頻繁に交じる。私はご夫妻の楽しそうな笑顔を順次眺めているだけだ。
( ─近馬 治展─ 11/25〜12/07 )
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