某月某日
昨年に続いての個展。今回は<花>ばかりの発表、30号から0Fまで35点、花花花の花尽くしである。
昨年の個展は人物や風景を登場させ、その日常や生活の背後にひそむ心情的、あるいは心理的内面に焦点を当てていた。
欧米の映画タイトルのようなシャレた題名を伴ったそれらの作品は<どこかサスペンスティック・ロマンの匂いが漂い、瑞々しいイメージを
喚起させてくる>とこの欄で紹介した。
今回の<花>は、写実をベースに、写実を突きぬけた向こうの世界、つまり作者の心象が濃密に感じられる、
豊かで瑞々しい世界となっている。花は仮象、なのだ。
某月某日
牡丹があり、向日葵があり、菖蒲(あやめ)がある。これらの一群のタイトルはすべて<bloom>。
椿や木蓮などは果樹の花をさす<blossom>で統一されている。これからもわかるように、花のそれぞれを描いている、
即ち説明描写をしているわけではない。
例えば<bloom-A>のあやめなどはほとんどモノトーンで、葉は葉脈と縁どり、花びらの曲線を大胆にとらえて動きを強調した、などと解説は
出来ても、それはこの場合ほとんど意味はない。花を仮りて、その日その時の作者の心情や内面、まさに花を仮象として見えている世界が
そこにとらえられている。いわばそれは、人間(作者)と花との<一期一会>にも似ていよう。
某月某日
仮象といったが、それを<仮想>と置き換えてもいい。
<仮想>のほうが、より作者に近い存在になるかも知れない。
私たちは日常、現実の中で生活している。しかし常に私たちは日常生活の中で、流れに浮かぶ泡沫のように生まれては消える取るに足らない
仮想を描き持つ。取るに足らないゆえに切実な作用をもたらす時がある。
日常の小さな仮想の背後に、さらに膨大な仮想の空間が広がっている。
この、仮想の世界の切実さに真剣に向き合った時、人々は様々な文学、芸術、音楽の作品を創り上げてきたのではなかったか。
佐藤照代さんの初日、真っ黒な天から舞い散る小雪に、ワインでほてった頬をなぶらせながら、ひとりロマンチックな気分に浸っていた。
(━ 佐藤照代- Fleurs -展 ━ 12/09〜/20)
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