中野中の足裏庵日記  -21-    東京・銀座に初見参━矢野重弘展

矢野重弘展写真


某月某日
矢野重弘、と聞いて正直何も思い当たるものがなかった。失礼があってはいけない、せめて搬入・展示の折に作品だけでも見ておこうと心づもりをしていたのだが、 ハードスケジュールの疲労の蓄積からか微熱が出て、加えて古傷の歯が痛み、結局失礼してしまい、すべては初日にということになってしまった。
聞けば、矢野さんはフランス滞在が長く、あちらでの発表や出身の関西では何度か個展を開かれているが、東京圏では初めての個展とのことである。 私のデータになかったのは私の不勉強ばかりではなかった、とお赦しいただこう。

某月某日
いささかわずらわしさをいとわず、氏の画歴を簡略に紹介する。
生まれは1932年長浜市。反対する両親を説得して京都市立美術大学(現、京都芸大)に進み、在学中、須田国太郎の個人指導を受けた。卒業後、 二紀展に出品したり同期生との三人展を続けるが、65年渡仏、グランショミエールに学ぶ。そして77年パリ・モンパルナスにアトリエを開設。 以降、パリ・東京を往復しながらの制作活動となるが、青山義雄に可愛がられ、青山先生のニースのアトリエを二年間ほど任されもした。
サロン・ドートンヌに出品、カンヌ、ニース、パリの画廊と作品委託の契約をし、一方日本では関西地方で積極的に個展を繰り返している。

某月某日
矢野さんの作品には須田、青山の良き影響がうかがわれる。須田(1891〜1961)は卓抜したデッサン力に加え、褐色を主調とする重厚な 色調の中に深い精神性をひそめた作風であり、青山(1894〜1996)は即興的な筆使いで明るく豊かな色彩を駆使した風景を多く描き、 カラリストとして知られた。
この両者の作風がミックスされたり、どちらかにより傾斜したりしながら、矢野さんは自分の画風を模索し打ち建ててきた。パリの古い建物や 何気ない沿道の土壁の家並、あるいはカフェや街角などの作品に、かつて彫刻を学んだときにつかんだマッスの表現、つまり 建物の量感や重厚感をよくとらえており、そこにマドモアゼルや若者を配してシャレたセンスを見せている。 時に港やホテルなどに明るく、闊達な豊穣ぶりを展開する。
総じて、やはり長いパリ滞在が培った感性、旅人ではとてもつかみきれない、奥深い風土性や雰囲気が醸出されている。そこに矢野重広の 持味がありそうだ。

「矢野重弘展」 6月12日まで。


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