中野中の足裏庵日記  -22-    パリ祭の思い出

2003年パリ祭展写真


某月某日
パリ祭とはあくまで日本での呼称で、本家ではご存知のように<Le Quatorze-Juille>である。 パリ祭はフランスの革命記念日で、1789年フランス革命の発端をなしたバスチーユ襲撃の日、7月14日を記念してのこと。 ルネ・クレール監督の映画『7月14日』(1933年)の邦訳題名にちなんで日本では「パリ祭」と呼ばれるようになった。

某月某日
パリ祭。この言葉の響きにはどこか華やかさと憧れが混在している。20代の私は、私自身にとって何の実体も伴わないパリ祭に憧れ、 それにはまずシャンソンの一つも口ずさめなくてはと、当時流行っていた「銀パリ」ではなく、「Ma Vie」(今でも銀座6丁目にある)へ足繁く 通ったものだ。ふだんは歌手の卵やプロが唄うのだが、7月14日だけは客に開放して自由に唄わせていた。 私もある時、勇をふるって唄ったところ、2位に入賞し、賞品に女性用の白のシューズと白のショルダーバッグをもらい、いずれ恋人が出来たらと、 押入れに大事にしまいこんでおいた。

2003年パリ祭展写真2
某月某日
パリ祭は、フランス革命への導火線となるバスチーユ襲撃の日を記念するものであることはすでに述べたが、その響きに反して、かなり 過激で血腥い革命であった。 92年に王権を停止、共和政を宣言。93年にはルイ16世を処刑。その後革命はさらに激化し、山岳党による恐怖政治、テルミドールの反動、 総裁政府を経て、ナポレオンによるブリュメール18日のクーデターに至って終結。 絶対王政、アンシャン-レジームの封建的社会体制を廃し、民主主義の端緒を開いた。 この間約10年の歳月を閲している。

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つい博識ぶりを披露してしまったが、なに、この位のことは辞典類で簡単に調べはつく。 とにかく流血に次ぐ流血というのが革命の実態だということだ。
さて、私もシャンソン熱が冷めた頃、婚約をした。そこで取って置きのシューズとバッグを数年ぶりに押入れの奥から引っ張り出して 彼女にプレゼントした。大いに喜んだ彼女が蓋を開けると、何とビックリ玉手箱。シューズもバッグもカビまみれであったとは。
パリ祭というと私はこんな失敗を思い出す。 「パリ祭展」に出品の画家の皆さんもそれぞれの思いを胸底深くに抱いていることだろう。その辺りの話をワイン片手に伺ってみたいものだ。


「パリ祭展」 6月30日(月)〜7月10日(木)

2003年パリ祭展写真3

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