某月某日
三岸節子素描展(7月22日〜28日、日本橋三越本店)を見る。素描でこれほど圧巻で堪能でき魅了されることなど、きわめて希な体験だった。
とにかく油性パステルの発色が素晴らしい。そして自在奔放なのだ。
しかもそのどの一点をとっても三岸節子そのものなのだ。
展示はCagnes, Monaco, Venezia, Paris, Spain, Siclia そしてFleurs と構成されていた。
どの素描にもS.Migishi のサインはあるが、年号は記されていない。思うに、三岸節子は子息の黄太郎一家と1968年、南仏カーニュに定住するのだが、その頃以降、つまり60才代から晩年にかけての素描ではなかろうか。
某月某日
私が会場に出かけた日は、ちょうど三岸黄太郎氏によるギャラリートークが行われた。いや、正直に言えば、それに合わせて出かけたのであった。
以下、ギャラリートークで得た即席知識をまじえての一文となる。
三岸節子の素描は、決して油絵の下絵にするためのものではなかった。
腕ならしのようにとにかく毎日手を動かしていたという。しかもいきなりパステルで、つまり最初から色つきで描く。
それは花でも風景でも同じだ。それは又、何の花ということではないし、風景も素描がそのまま油絵になるわけでもなかった。
それでも素描は毎日、欠かすことなく続けられた。
「母は努力の人でした。」黄太郎氏はそう語っていた。
某月某日
タブローにするのでもないのに、なぜそれほどまでに素描にこだわったのか。
「現場で見なければどうにもならないんだ。その場の雰囲気をつかむにはデッサンをしなければ」と三岸節子は語っていたという。
そのことは、その場の光や風や匂いなどをも含めて、描こうという気持ちを昴めるということでもあろうし、絵というのは対象の写生や
説明ではないんだ、ということをも語っている。
カーニュの赤い家などは実際そうだったらしいが、それがそのまま油彩画にはなっていない。赤い花の塊と黒い花瓶があるだけでそれは【絵になっている】のだ。絵の何たるか、そのことを強烈に教えてくれる素描展であった。
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