【中野中の足裏庵日記】―31―何と、これが風神雷神?-佐々木曜日本画展
2004/04/11
某月某日
昨年に次いで高輪画廊での2度目の個展(4/12〜/22)。前回は花尽くしで多彩な花々が並んだが、今回はがらりと趣を変えた。
その一つは「雷」「白きショール」「風」の3点1対の人物画。白きショールの女性、それが佐々木曜の女性像の特徴である10等身のような細身の丈高い、この女性を中に、左右に位置する男性が不思議なポーズをしている。若いと言えば若くも見えるのだが、静かに立つ女も、奇妙な恰好の男も、人間の姿をしてはいるが、どうもそれだけではなさそうだ。


某月某日
作品題名の「風」「雷」で、これは佐々木版「風神雷神」図であることがわかるのだが、画家は何を描こうとして、こうも奇妙な作品をものしたのだろう。
私たちの頭の中には、「風神・雷神」図といえば、俵屋宗達の、あるいはそれを模写した尾形光琳のそれが刷り込まれている。それらとはずいぶん違うではないか。
もともと風神雷神は、二十八部衆とともに千手観音の眷属(従者)で、一対に表わされる例はすでに6世紀の敦煌莫高窟に見られ、日本では平安末期の『金光明最勝王経金字塔曼荼羅』などに描かれている。彫像では三十三間堂(蓮華王院本堂)に慶派の優作(13世紀半ば)が知られる。
佐々木のこの3者1体は、こう見てくるとむしろ伝統的・古典的様式によっているわけで、この制作にあたっていろいろな風神雷神図を研究したであろう。が、まったく違った、佐々木ならではの「風神雷神」を生み出した。
それにしてもこの作品で何を語ろうとしたのだろうか。


某月某日
風神は風袋を持ち、雷神は太鼓を背負い揆で打つ姿で表わされる。がこの風神雷神は裸体に長めのパンツを身につけるだけであり、顔も明らかに人間の顔立ちである。そのために神なのか人なのかが判然としない。
佐々木は神を描く気はなかったろう。かといって人間を描こうともしていない。何故なら、人間の体は描いていても肉体の存在そのものへのこだわりはない。ここに描かれているのはおそらく<霊性>なのではないか。 それは宙(自然)にも人間にも、というよりもすべてを含めての<霊性>。それは理屈では肉体の重さがないとかは言えるが、むしろ、絵から感じる直感的なもので、それは画家の絵にこめた精神性なのである。


某月某日
それにしてもユニークな姿の風・雷なのだが、このポーズにはヒントがあった。ご本人から伺った話では、雷はアスリートのハードル走から、風は走り幅とびに想を得たという。画家とは、いや佐々木曜の着想の意外性は実におどろきであり、何とも楽しいものではある。跳びはね、跳び越そうとするその姿がみごとに体重、肉の重みを脱却して宙に軽々と浮いて見せている。
なお今展にはもう一つの見処である、長さ15メートルの画巻『水の流るる』が出品されている。この作品については次回に触れたい。


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