【中野中の足裏庵日記】―32―継ぎと離れの興趣―佐々木曜個展(続編)
2004/04/18

某月某日
初日のパーティーは多勢の方々が見えて賑やかだった。学生時代の山岳部の仲間もやってきたが、この方もどちらかといえば小柄。山男といえば熊のような大男を連想する僕には良くわからない。
風・雷の組作品はいろいろな評や印象が飛び交った。その大方を集約すると、「おもしろいネ、でもやはりちょっと風変わりだネ」といった作品と作家評に落ち着くだろうか。


某月某日
画巻の出品も大きな話題となった。画巻はかって大いに盛行し、日本文化の大きな財産となっているが、今どきは日本画家の画巻を見る機会はほとんどない。『水の流るる』と題された巾35cm、長さ14m57cmの画巻は展示壁面の都合で4つに分断されたが、それはそれで又一興という感がする。
この画巻は山形の大朝日岳の撫林の秋の景からはじまる。21才、学生時代に踏破した思い出の山から始まる流れは、冠雪の蔵王月山を遠く見、渓流は岩場を割り、春の桜を経て、五月雨の最上川を下る。田植え、夏木立ちの緑濃き影、そしてやがて海へ到り、空には夏の名残りの白い雲が浮かぶ。


某月某日
「画巻をして場面場面の継がりと転換に、一枚毎の絵画とは別の面白さ」を見付けたようだが、それは趣味として10年ほども嗜んでいる連句の、句の継がりと離れの妙味と一脈通ずるところがあるらしい。
連句とは俳諧の連歌のことで、俳諧の発句が独立して俳句となったことは知っているが、五七五の長句と七七の短句を一定の約束事に従って交互に付け連ねる。そこにどんな妙味や面白さがあるのか、野暮天の私にはとんとわからない。
先日亡くなられた加山又造さんが、屏風の深さ、これを上手に使う、これを活かす四曲、六曲などに等間隔に入る垂直の断線(オゼと言うらしい)の鮮やかな面白さをかってエッセーに書いておられたのを思い出すが、性質は違っても画巻の継ぎと離れも、日本的間、呼吸的なものなのだろう。


某月某日
こんどご一緒に温泉宿に出かけ、囲炉裏を囲んで、連句と画巻についてじっくりとその薀蓄をうかがいたいものである。


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