【中野中の足裏庵日記】―42―自画像たちに何を読みとるか
2005/05/18

私の企画する<自画像>展が5回目を迎えた。第1回展から毎年各30名、総数ほぼ150名の参加を得た。これら150点の自画像たちは何を語り、その自画像たちから何が果たして読めるのだろうか。

──自分の顔を描くという行為は、自己とは何かを問い続けることにほかならない。人は誰でも自分の顔は十分知り尽くしていると思い込んでいる。ところが、自画像を描こうと鏡をのぞきこんだとたん、知悉していたつもりの自分の顔とのあまりの落差に愕然とする。そして一体自分は何なのかをあらためて問うことになる。自画像は限りなく内省をせまる行為となる。自分は何なんだ、人間とは何なんだ、と。(第1回展図録より)──

自画像はもちろん自我への問いかけであるが、その自我へ放ったベクトルが観者自身の自我への問いかけにもなっていくのだ。それ故に、21世紀という新しい世紀を迎えた今こそ自他ともに自画像は大きな意味を持つに違いない、と私は考えた。

──20世紀がすべてにおいて拡大発展膨張の時代だったと括るとすれば、新世紀は伸びきったパンツの紐を締め直さなければならない。そのためにはすべてにおいて見直し反省する、いわば内省の世紀になるであろう。(同上)──

と読んだのだ。が、あの9・11はすべてを狂わせてしまった。といって、あれは決して偶発的ではなく、歴史的必然性が招いた結果であることを覚悟しなければならない。にもかかわらずあれから3年余、人間はますますその愚かさと醜悪さを露呈し続けている。

──9・11は私たちの日常に、光と闇、陽と陰を投げかける。その投影が自画像に見え隠れする。まさに自画像は個の記録であると同時に歴史の証人となる。(第2回展図録より)──

いま、5回展を迎え、ことしも全国8か所を約半年間に亘って巡回する。私はその全会場に足を運ぶが、それぞれ違った環境で都合8回、それぞれの自画像と対峠する、まことに貴重な体験を得ることになる。

スタート当初の企図通り、今回をもって取り敢えずの終止符を打つ。2001年から5年間、都合150点。それら自画像たちは何を語っているのか、またそこに何を読みとることが出来るのか。参加して下さった作家たち、協力して下さった会場や観て下さった多くの方々への、企画者としての私なりのアンサーを近々にまとめて報告する務めがあろうかと思う。(2004・11.22識)




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