【中野中の足裏庵日記】―48―佐藤照代のナルシスム
2005/12/18

某月某日
歳末恒例となった佐藤照代展(12.12〜24)。寒波大襲来で日本列島は凍てつき、画廊歩きも楽ではない。それでも銀座の各通りは並木にイルミネーションを飾り、ビルの一角には巨大なクリスマス・ツリーが光を明滅させて、道行く人々の凍てついたハートをほぐそうと懸命だ。
それにしてもこれらの電気代はいったいどれほどかかるものなのか。クールビズだウォームビズだとエネルギー節約に躍起になる一方でのエネルギーの垂れ流し、世の中納得のいかないことばかりだ。

某月某日
寒い外から画廊に入るとホッとする。ほどよく効いた暖房がコートを脱がせ、魅力的な作品が心の鎖を解いてくれる。
パリの風景や花々の作品もあるが、新作の人物画3点がいい。華やかな女性、といってもブロンドの髪に白い肌と白いコスチュームなのだが、たっぷり豊かで華やかなのだ。いや、華やかというより蠱惑的というべきか。流し目や紅唇は確かに蠱惑的ではあるけれど、そのひびきが持つ薄っぺらさや下品さは微塵もない。

某月某日
経験の少ない、浅い人生の私にはよく解らないのだが、この女性たちの表情は自己陶酔的なのかも知れない。流し目と見えたのは、自己陶酔にうるみ、焦点を失っているのだ。薄く開けた紅唇も一連の感情露出なのだろう。 画中の女が自己陶酔にあるとすれば、描いた画家も自己陶酔(ナルシスム)に陥っているのではないか。少なくともキャンバスに向かっている間はそうであるに違いない。少しの計算も策略もないから、こんなに豊かに華やかな存在になるのだ。

某月某日
「人物より- StarU」の女はちょっと違う。男の気配か何かにハッと振り返る。その一瞬をとらえたかげりのある表情が魅惑的なのだ。襟のヒダがそのまま展開して闇空に連なっているのだが、何かの予兆を孕んで、絵の表向きは穏やかだが、心理的にドラマティックな要素を含んでいる。私は好きな絵だ。
ひるがえってみれば、ナルシスティックな女の表情も、その内面をとらえているわけで、佐藤照代は女の心理表現の巧みな画家だということになる。

某月某日
ことし一年を表す漢字に「愛」が選ばれた。「愛−地球博」の印象が強かったのか。私には愛はどんどん希薄になっているように思えてならない。むしろ悲惨な事件、おぞましい出来事の頻発が不安を招く。どうにもうるおいがなく殺伐とした空気が蔓延しているように思えてならない。
愛、というならまず自己愛だ。利己愛ではない。博愛など口当たりのいい事を言うのはもうよそう。まず自己を愛そう。ある意味ナルシストになることだ。自己愛があれば他人を傷つけることはない。
元気でまた一年過ごしたい。
よいお年をお迎えください。




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