【中野中の足裏庵日記】━51━ 前島隆宇−アトリエ余話
2006/03/23

某月某日
昭和23年、18才で上京しました。私は静岡市の生まれですが親父の転勤でその頃は伊予松山にいました。美校入学を目指しての上京ですが、その年は学制改革とかで芸大は募集がなく、多摩美へ、次いで翌年武蔵美へ編入したんです。
格別に絵好きの少年だったのかどうか、とにかく軍事国家へまっしぐら、誰もが海軍兵学校をめざすような時代でしたから。ただ旧制中学1年の頃、軍服のジャバラの部分や錨の徽章を新聞紙のアキにスケッチしたりなどしてましたけど、絵が好きだったのか海軍おたくだったのか…。
上京した年のことです、予備校などはなくて個人指導の研究所が麻布にあった。そこの教室は2階から3階の踊り場までの階段にイーゼルの足を切って調節して立てて石膏デッサンをしたものです。
そこで最初に描いたのがミロのヴィーナスの胸像で、とにかく48日間描き続けた。つまりどこが完成なのかがわからないまま真黒になるまで木炭デッサンをした。そこで学んだのは視るということ、見くらべるということを覚えた。何が違うか分からないけど、違うことはわかる、そこを追いかけることを覚えたのは貴重だった。

某月某日
当時の武蔵美の教授連は、今思い返してもすごいメンバーでした。林武、山口薫、三岸節子、三雲祥之助、岡田謙三、高畠達四郎、彫刻の清水多嘉示…。これらの先生がそれぞれ互い違いにやってきて、描いている私たちのうしろを黙って見てゆくだけですが、それだけで緊張したものです。足をとめるかどうか、一言でも声をかけられたら最高でした。
三岸先生には、そろそろご自分の仕事をなさったら…、林さんには、君の仕事はアクがないね…というようなことを言われました。 卒業近くのころに山口先生に「造形性とは一言ではどういうことか」と質問したら、ずいぶん考えられてから「写実性と逆のこと、対立することかな」。これは私には大きな財産になりましたね。

某月某日
私はいま<天景>シリーズをやっていますが、もう20年以上でしょうか、いつもカケラということに思いをめぐらす。もちろん宇宙全体を把握することは重要だけれど、宇宙のカケラ、つまり部分のほうがむしろ全体を暗示する。本質とか実態は部分にあり、その部分によって全体を象徴することができるんです。
部分といっても、成長化する部分と単に全体の一部分とがある。ですから自分の造形を意識した部分でないと全体を象徴できない。切りとっただけの部分ではダメなんです。
部分を描いてあるがごとき世界、あるべき姿を暗示させなければいけない、そこに造形性がかかわってくる。逆に作品を観る側をその暗示にのせるテクニックが必要で、こんなもの見たことないと拒否されるようではダメ。 その実体感をイメージさせるテクニック、そこにこそリアルがあるんで、対象を正確に写実したからリアルだというんではないんです。
その点において、<天景>以前の<椅子>シリーズの、人のいない椅子を描いて人間存在を暗示する、その考え方がつながっているんです。
<天景>に移った理由(わけ)ですか。それは人間存在を描いているうちに細胞まで意識するようになる。そこには時代背景があって、1960年前後には既に科学の発達がそこまでいって、細胞の増殖性ということが一般的に意識されるようになった。それは画家も同じで、細胞の増殖ということは、同じ形態が複数化する、類型ができるという考え方が生まれた。
例えば、シャスパー・ジョーンズの星条旗の作品やアンディ・ウォーホルの毛沢東やマリリン・モンローの作品なども、この増殖性なんです。
私も、一つの塊をずらっと並列した作品などを作ったけれど、これも生命体と考えれば同じことです。それやこれや試みているうちに、その中から一つの律、一つの秩序を求めるようになって、ハタとそれは宇宙の律・秩序と同じだと気づいた。そのとき初めて<天景>シリーズが生まれたんです。そこへ辿りつくまでには長い道程があったけれど、宇宙だと直感するのは瞬時のことでした。

某月某日
昭和35年、30才のとき銀座中央画廊で初個展をして、まぁ画壇デビューをしました。このときは『英文毎日』紙上にリチャード・ステッガー氏の評論をいただき、上々のスタートをきってからずいぶん長いこと絵を描いてきました。最近になって考え方が少し楽になりました。
若い頃は計画性にもとづいてデッサンをしエスキースをつくり、交響曲をつくるような気持ちでタブローに取り組んでいた。だいぶこっちに来てから、計画性を全部とり払って、逆に自分のトータルなものを先に出そうと実験的に試みた。あるいは計画性を3割ぐらいにしてみたり…。最近は5,6割くらいにして、4,5割の部分で戦いながら泳いでいるといった感じかな。以前のように極端に計画して進めるのも、まったくの無計画でもいけなくて、いまは仕事がしやすくなっています。

某月某日
そんな私がいま考えていることがあります。20世紀になって抽象化してきた絵画が、大事なものを切り捨て置き忘れてきてしまった。それは何かというと、基本的な色彩、形態、造形のみを追うあまりに、精神性を忘れてしまったんです。色彩と形態にだけ力を入れすぎたため、確かに画面は明確になったけれど薄っぺらくなってしまった。一つはトーン、これは説明性につながるし、画面の平面化にはジャマだから排除してきた。しかし、それではいけなかったんです。
私はそれを新しいかたちで、トーンというより陰影といったほうが近いかな、そういったものをあらためてとり入れて、精神性の宿す作品をつくっていきたい。小品でいろいろ試みているので、近いうちに大作に出てくるでしょう。

某月某日
もう一つだけお話しておきましょう。
40代に表現してきた人間像の雛形である椅子シリーズの作品はすべてタテ型で、天景に入ると完全にヨコ型に変っている。同じ作家でも考え方というか哲学が変ると絵の姿も変るから面白いですね。
これはどういうことかというと、画面のタテ型からヨコ型への移行は、ギリシャ的生命観からエジプト的それへの移行なんです。ギリシャ的とは、瞬間性の時代観を背景にしている。瞬間性の時代はギリシャ彫刻がそうであるようにタテに伸びるものが多い。生命観の本質としてそうしたものを考えてきたが、段々に宇宙の秩序を考えるようになってからは、それは超時間的なものではないか。それまでの人間像でも時間を越えてある人間の姿をテーマにしてきたことでは一線に連なるし、普遍的である。これを長いスパンで考え、宇宙の構成、秩序の中でみつめると、エジプト的生命観にたどりつくことになった。
といって、理論先行で入ったわけではなくて、おのずとヨコ画面に描きたくなる。タテは垂直性だから生命観は直接的にあらわれる。一方、エジプト的な超時間的な生命観は、時間を越えるという意味から、現世的なものだけでなく、普遍的、永遠的生命観はヨコの水平的な画面を選んでいたということなんです。ただそこで重要なことは、水平的なものは構造的には運動でなく静止的である。が長いスパン、つまり宇宙的にみれば静の中に動があるという考え方になる。それ以前は、動の中に静があるという考えだったんですね。
<静>は、宇宙構造でいうバランスになる。ところが完全にバランス化すると<止>になってしまう。宇宙は常に動きながらその中でのバランスを求めている。
画家の私は、バランスは最高の芸術の要素と考えますが、そこで重要なのは完全なバランスを求めようとする願いであって、完全なバランスがとれた状態は<死>の状態になってしまうということ。あくまで求め願うことが大事であって、完全なバランスがとれてしまったら最高の芸術にはならない。そこが面白くもありむずかしくもあるんです。不完全の完全とでもいうものなんですね。
宇宙はアンバランスなものを持っていて、常に動きながらバランスをとろうとしている、それが構造の活性化状態。それは欠点だらけの私たちが完全を求めて生きている、そんな姿と相通じているんじゃないでしょうか。

某月某日
日頃無口な私が、今日はずいぶんしゃべりました。まだまだエピソードやいろいろありますが、またの機会にしましょう。長い間私のお喋りを聞いてくださってありがとうございました。



下・左より(クッリクで大きな画像をご覧になれます。)
第24回近代美術協会(1987) 王者の椅子A
第36回近代美術協会展(1999) 天景 <壁の中へ>
第42回近代美術協会展(2005) 天景 <宇宙のカケラ>


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