中野中の足裏庵日記(55)神秘性のなかの懐かしさ−須田基揮ドローイング展−      
2006/09/25記
某月某日
暑い暑いとぼやきながら、ひと仕事終えて日のあるうちにひと風呂浴びて、ビールを飲むのが何よりの楽しみとする夏も、いつの間にか蝉の声に代わって虫の音の秋である。秋風に吹かれながら濡れ縁でひとり、盃を傾ける夕、積丹半島で眺めた夕陽を思い出していた。北上する台風の影響で西空を流れる雲が千変万化する。それにつれて夕陽が顔を出したり隠れたりするたびに、夕空の彩りが多様に光と陰のドラマを展開する。自然はまったく人智を越えた演出をしてみせる。ほとほと感心して見入っていた。


某月某日
須田基揮ドローイング展が高輪画廊では5年ぶり3回目が開かれた(9/4〜14)。
須田基揮さんは、1951年愛媛県に生まれ、76年多摩美術大学大学院修士課程を修了するが、すでにそれまでに第16、17回シェル美術賞展で佳作を連続受賞し、73年から83年まで新制作展に出品という俊英ぶりを発揮。以降今日まで海外展を含め現代作家の一線で個展、グループ展等で活躍を続ける一方、共立女子大学絵画コース教員として後進の指導にも力を注いでいる。


某月某日
今展のテーマは<森羅万象>。森羅万象とは、宇宙に存在する、すべてのもの。万有。universe と「日本語大辞典」(講談社)にある。 平たくいえば世界、宇宙そのものなのだろうが、画家自身の言葉を借りれば、物質をはじめ時間、空間を含めた連環の構図としてとらえている。
作品は横長の画面に紫、黄、緑、黒などの鮮麗な色面が交響しあうなか、三角形を基本形としている。紙や布を支持体にパステルと水彩絵具による色面は、緩急の動きをみせながら宇宙の奥から億万光年をかけて眼前にあらわれたような神秘感を伴っている。
何よりも特徴的なのは、水平に切られた画面で、均等間隔で何条もの切り込み(というより細長い画面を同間隔の隙間をもって並べた)をもつことだ。例えばブラインド、あるいは御簾を連想してもらえば、いくらかイメージが湧くだろうか。
いわば作品を分割、連続させることで、よりいっそう色あるいは形の認識を迫ることになる。理屈はともかく、清潔感や神秘感、それでいてどこか懐かしさを感じさせる世界だ。




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