某月某日
ウインドウに飾られた『城砦への道』(F12)が、いきなり私をヴェロンの思い出に引き込んだ。この作品は何もヴェロンを描いたわけではなかろう。しかし、ガジュマロの並木といい、川向こうに広がる夕照の空といい、それらが醸しだす雰囲気が如何にもなのである。
某月某日
長森聰さんの作品は春陽会展等で拝見しているが、ご本人にお会いするのは初めてである。長身痩躯のジェントルマンで、耳がご上自由のようだが矍鑠(カクシャク)足るものであるとしており、笑顔でワインを傾ける様子は垢抜けたものであった。
高輪画廊では初の個展(11月15日~27日)で、あまり馴染みのない方もおられようから簡単に画歴を紹介しておく。
1928年神奈川県逗子に生まれ、東京芸術大学に在籍中に春陽展に出品、以降今日まで連続出品を続けている(’71年会員)。
同大副手を勤めていた1961年、フランス政府給費留学生として渡仏、国立パリ美術学校でロジェ・シャプランミディに師事。サロン・ナショナルやサロン・ドートンヌ等に出品(~’66まで)。
1971年再び渡仏、ブルゴーニュ地方の小村クールトワに居を定めて制作(~’78まで)。
帰国後、新潟大学教授を勤め(1980~92)、個展は銀座松坂屋を中心に旺盛に制作、発表活動を続けてこられている。
某月某日
長森さんと三岸家のご縁は、長森さんの第二次滞仏時代のことだという。その頃三岸一家はヴェロンに住んでおられた。ヴェロンもクールトワも寒村で、食料にしろ何にしろ買い物はその辺りの人々は大方サンスの街まで出かけたらしい。地理的には三岸家は南から北へ上り、長森さんは北から南へ下ることになる。街の中心に立派な教会が建ち、正面の広場の向かいに週に2度朝市が立つ。この週に2度の朝市で偶然にも両者は出会った。 互いにボヘミアンとまでは言えなくとも異邦人同士、しかも画家という共通の匂いを感じ合ったのであろう。両者は急速に近づいたものと思われる。
以来40年、節子さんも黄太郎さんも鬼籍に入られてしまったが、今回の高輪画廊での長森さんの個展を喜ばれていることだろう。
某月某日
油彩作品15点と水彩小品10点からなる作品発表。風景の中の花やヨーロッパ風景など、重厚感ある筆致にリズム感を漂わせる作品群はいずれも長い間培ってきた長森調に彩られて魅力的だったが、豪奢な花の作品『コンセール オルタンシア』(P50、花の饗宴とでも訳せば良いのか)や、窓辺のカーテンの紫色が白い花に映える『芍薬の花』(P15)、屋根の連続するフォルムとリズム感が心地よい『春の小川の流れる村落』(F10)など、印象に強かった。
(2010.12.3識)
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