Date | History |
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1903(明治36) | 4.18 北海道札幌区(現札幌市)に生まれる。父橘岩松、母三岸イシ。 |
1921(大正10) | 東京美術学校建築科に入学の親友俣野第四郎と上京、 白樺美術展でセザンヌ・ゴッホを初めて見て驚嘆する。 |
1922(大正11) | 6月 第3回中央美術社展に入選。 11月 第2回一九二〇年社展に出品。このとき、女子美術学校生徒吉田節子を知る。 |
1923(大正12) | 5月 第1回春陽会展に入選。 7月 俣野、小林喜一郎と札幌に帰り、三人展を開く。 11月〜翌年2月 日本美術展覧会に出品。 |
1924(大正13) | 3月 第2回春陽会展に入選し、春陽会賞を首席で受賞。 8月 春陽会の同僚、横堀角次郎、倉田三郎、土屋義郎、斎藤清次郎、川端信一と 麗人社を結成し、第1回展を開く。 9月 吉田節子と結婚。 |
1925(大正14) | 3月 長女陽子生まれる。 第3回春陽会展に入選、節子夫人も初入選する。 4月 第2回麗人社展に出品。 8月 節子夫人、丹羽秀雄と札幌に帰り、三人展を開く。 10月 第1回道展に特別会員として出品。 |
1926(大正15) | 2月 第4回春陽会展に入選、無監査に推薦される。
5月 東京府美術館記念、第1回聖徳太子奉賛美術展に無監査出品。 |
1927(昭和2) | 4月 第5回春陽会展に出品。 9月 札幌に行き、第21回北大黒百合会展に賛助出品。第3回麗人社展に出品。 |
1928(昭和3) | 3月 次女杏子生まれる。 4月 第6回春陽会展に出品。 5月 鳥海青児、森田勝、節子と札幌に帰る。 10月 好太郎、青児、節子の三人展を開催。蒼玄社主催総合美術展に出品。 11月 第4回麗人社展に出品。第22回北大黒百合会展に鳥海青児と賛助出品。 |
1929(昭和4) | 4月 第7回春陽会展に出品。 5月 中野区鷺宮にアトリエ付き住宅を建てる。麗人社素描展に出品。 第1回国際美術協会内国展に出品。 7月 札幌に帰り、第4回太地社展に出品。 |
1930(昭和5) | 4月 第8回春陽会展に出品。
8月 芸文誌『セレクト』に散文詩「上海の絵本」を発表。 9月 長男黄太(現:黄太郎)生まれる。 11月 独立美術協会の創立に加わり、最年少の会員になる。 12月 独立美術結成記念講演会で「芸術の特異性」の演題で講演。 |
1931(昭和6) | 1月 第1回独立美術協会展に出品。 2月 独立美術大阪展に際し、美術講演会で講演。 以後連年、独立美術地方展で名古屋・京都・大阪に行く。 8月 第1回独立美術協会夏期講習会の講師をつとめる。 9月 独立美術秋期展に出品。札幌に帰り、第7回道展に出品。 |
1932(昭和7) | 3月 第2回独立美術協会展に出品。
節子夫人も春陽会から移って出品。 4月 独立美術協会講演会で講演。 8月 月末、札幌に帰る。 9月 道展主催美術講演会で「新興芸術運動」の演題で講演。 札幌豊平館で個展を開く。 NHKラジオ趣味講座で、「画家の見た女性美」を放送。 10月 独立美術秋期展に友人本間紹夫の工房で試みた自製石版画を送る。 同郷のオリンピック三段跳優勝者南部忠平を讃えた「南部の跳躍」を札幌市に寄贈。 レートン作品展に賛助出品。11月 初旬、帰京。 12月 最尖鋭のフランス前衛絵画を集めた巴里東京新興美術同盟展を見て大きな衝撃をうける。 |
1933(昭和8) | 1月 『独立美術4』(三岸好太郎特輯・建設社)刊行される。
3月 第3回独立美術協会展に出品。 6月 北海道新興工芸美術展に節子夫人と共作の状差などを出品。 7月 札幌に帰り、中学後輩の小山昇・植木茂ら10名で北海道独立美術作家協会を結成、 第1回展を開き、結成記念講演会で「絵画的視覚に於ける近代層」の演題で講演。 8月 自宅を申込所として独立美術協会夏季講習会の講師をつとめる。 9月 独立会員素描展に出品。 10月 独立美術秋期展に出品。 |
1934(昭和9) | 2月 愛知県津島で個展を開く。 3月 独立会員素描淡彩小品展に出品。 第4回独立美術協会展に出品。 長編詩「蝶ト貝殻」、淡彩素描10点からなる筆彩素描集『蝶と貝殻』を私家出版。(限定100部) 4月 友人山脇巌に依頼して鷺宮に新アトリエの建築を始め(没後10月完成)、 資金調達のため関西に赴く。 6月 独立美術会会員小品展に出品、 『貝殻旅行』と称して節子夫人と京都・奈良・大阪に遊ぶ。 第2回北海道独立美術作家協会展に作品を送る。 28日、名古屋の銭屋旅館において、胃潰傷の吐血で倒れる。 7.1 心臓発作を併発して午後11時逝去。31歳。 11月 アトリエ竣工を記念して、遺作展がアトリエにて開催される。 |
1935(昭和10) | 3月 第5回独立美術協会展に遺作特陳。 |
1967(昭和42) | 9月 三岸好太郎遺作品220点の寄贈により、北海道立美術館(三岸好太郎記念室)が開館。 |
1977(昭和52) | 6月 北海道立美術館の名称を北海道立三岸好太郎美術館と改める。 |
1983(昭和58) | 4月 新美術館へ移転。 |
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