中野中の足裏庵日記(64) 馨しく色が出にけり〈高瀬あおい〉展      
2008/10/08記
某月某日
春が過ぎ酷暑の夏も過ぎ、早や虫の音のすだく季。本欄の皆様にはすっかりご無沙汰しました。小生、相も変わらぬ日々ですが、 何とか元気に過ごしております。
我が家の、庭と言うもおこがましい小さな空地に、妻の丹精した萩が赤い花を咲かせ、金木犀の香りがただよっています。 〈ぢぢむさく、古めかしい〉と見ばえのしない金木犀の花を薄田泣菫は哀れむ一方で、ロマン派詩人らしい感性で 〈高い香気をくゆらせるための、質素な香炉〉とも言っていますが、江戸の俳人服部嵐雪の〈木犀の昼は醒めたる香炉かな〉の 一句が下敷きにあったのかも知れません。


某月某日
高瀬あおいさんが当画廊では6年ぶりになる個展(9月29日〜10月9日)を開いた。グループ展や写実画壇展他で折々に見ているので、 そんなに久しぶりなのかとあらためて思うのですが、今回出品の30号からS3号までの油彩15点にパステルの小品11点は、DMの 紹介文に〈白を基調とした淡い色調から力強い色調に変わりつつある…〉とあるように、ずいぶんとカラフルになりました。が 色彩鮮やかとか溢れる色彩といったイメージからはほど遠いものです。作品の大半は卓上静物で、それが窓辺から流れこむ柔らかな 明かりの中にある、といった状況設定で、色といってもせいぜいブルーとイエロー、オレンジが白色の空間に滲んでいるといった風で、 華やかとか色が際立つという風では少しもない。それでいて豊かなのです。一つひとつの花や花瓶やレモンというよりも、 それらのある場そのものが満ちていて、豊かな気分になっているのです。


某月某日
そこに設定された一つの状況がある。30号の「窓辺の卓上」は角テーブルにワインボトル、ガラスのボールに入ったオレンジと 黄の果物と、赤いリンゴとミカン?が置かれ、窓から射し込む光によってモノは逆行になっている。と、こうして言葉で 説明しているのは一般的にいう〈現実〉です。
この現実をどう感じて、どう描き表すかは画家それぞれの眼と脳と感性による。そして作品として呈示されたそれは、高瀬あおいの 〈現実感〉といえるでしょう。それを私たちは自分の〈現実〉と作品から受ける〈現実感〉の中で見ている。そこに見るもの一人ひとりの 〈現実〉という作品(存在)が生まれ出てくるのだと思います。
その〈存在〉が大きいほどに、謂わば作品が豊かである、イメージ力が強い、確か、ということになるのでしょう。
そういう点で、この「窓辺の卓上」(30号)の空気感、空間感の充ちる豊かさに心を強く惹かれます。細かな指摘は省きますが、 未だ色の出方、扱い方は充全ではない、ある意味で半端で、〈白を基調とした淡い色調から力強い色調〉への、まさに過渡期の ようです。しかし、半端とも思える現在の色調が、そのどこか頼りなげで、ちょっと儚げで、それでいて確かな残り香。それは 魅力的で馨(かぐわ)しくて、まるで風に運ばれてきた金木犀の香のように私は感じるのです。
2008.10.8識



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