中野中の足裏庵日記(65) それぞれの力学の交響−「赤兎馬」会展      
2008/10/24記
某月某日
坂口安吾の掌編『オモチャ箱』の冒頭に、概ね次のような描写がある。
将棋の名人戦を観戦した折のこと、先手番の名人が初手に長考した。安吾は隣の棋士に、第1手くらい前夜に案を練ってくる わけに行かないのかと尋ねたところ、前夜いくら考えてきても盤面に対坐するとまた気持ちが変わる、考えが変わって別の手を 指す、そういうものだという。
気持ちが変わるというのは、つまり前夜の考えというのが実は平常心によって考察・思案されており、原稿用紙に向かうと 平常心の水準では我慢ができない。もっと高いものを求めて<全的に没入>する、そういう境地が要求されてくる。 創作活動とはそういうもので、予定のプラン通りに行くものなら、これはもはや創作活動ではなくて細工物の製作で、よくできた 細工はつくれても芸術という創造は行われない、……と。


某月某日
芸術の創造は常にプランをはみだすところから始まる。予定のプランというものはその作家の既成の個性に属し、既成の力量に 属するが、芸術は常に自我の創造発見で、既成のプランをはみだし予測得ざりしものの創造発見に至らなければ、みずから充たし あたわぬ性質のものであろう。
近年、ことに美校出の若手の作品に、技術的にすぐれた仕事を多く見かける。それらはキレイで目当たりは良いので、わかり易い。 しかし深味は感じられず、心をうたず、良く描けている程度で終わってしまう。うまいということ、プランを成就させ対象を しっかり再現する技術をもつことは大事である。しかしそこに発想のユニークや深さや豊かさが感じられない。予定のプランの ままに描かれたもので、既成の力量、つまり水準でしかない。
絵はつくれても、美は生まれない。


某月某日
<赤兎馬 >(せきとば)と題する6人のグループ第1回展が開かれた(10月20日−30日)。サブに<人中に呂布あり、馬中に赤兎あり>と付され、DMには−赤兎馬は『三国志演義』に登場する1日に千里を駆ける稀代の名馬として知られています。赤い毛を持ち、兎のように 素早い馬だったのでしょう。しかし同時に、この名馬は気性が荒く乗りこなすのが難しい一面を併せもっています。−と注釈 されている。
<気性が荒>い<稀代の名馬>の集まりということで、長老の赤堀尚先生を指南役に、1940年代後半から50年代生まれの構成である。


某月某日
赤堀尚(昭和2年静岡県生、東京芸大卒、立軌会同人)の「赤い薔薇」(F15)が力強く燦然とその場を占めていた。ガラス瓶の バラの花だが、花を描くというより十字構成への意欲がフツフツとして、一輪のみ花らしく描いてポイントとし、朱赤の空間が 情熱・情念的な美を発揮している。
パーティの席上、近頃の絵は作りものめき過ぎているという冒頭の話題をしたところ、その通りだとメモをとり出して見せてくれた。
<自分のスタイルを創るのだと決めてかかり意識的に自然から離れてしまう人々は、真実から逸脱する>
<画家は論理的思考をする時には、絵画がつくり物であることをわかっていなければならないが、描いている時は自然を写している のだという思いを持っていなくてはいけない。そして自然から離れている時でも、自然をより完璧に描くために離れているに過ぎない という信念を抱いている必要がある>−マティスの言葉より。


某月某日
富沢文勝(昭和22年東京生、多摩美大卒、写実画壇会員)は「卓上」(F8)、「カサブランカ舞う」(F20)他2点。前者はガラスの いくつかの器、瓶と黄色いレモン。卓上に降る僅かな光を掬いとる微妙な呼吸をとらえんとする。後者も暗い背景から浮上する 白い花に揺曳する光がテーマ。黒に本来の切れと深みがもうひとつであったか。それがあってこその花の命が宿る。
赤塚一三(昭和31年岐阜県生、愛知芸大大学院修、写実画壇会員)は「青い背景の花」(P8)他。「アルヴル」(F25)がおもしろい。 樹をモティフにその傍らの白い椅子が意味をもつ。つい今までそこにいた主人の姿がない。彼は道元の『正法眼蔵』から<而今>を 持ち出したが私には難解。永遠の今、ということのようで、2次元の世界に4次元を表現しようということか。誰もいない様子に それを語らせている。「石と花」(F3)が良かった。


某月某日
田口貴久(昭和28年愛知県生、愛知芸大大学院修、立軌会同人)の「静物」(F20)は重厚。構成を出来るだけ簡潔にし、厚塗りの 絵具の層に鈍色の光が宿り、存在感を確かにしている。小品の「顔」(F6)がおもしろい。
遠藤力(昭和25年北海道生、武蔵野美大卒、写実画壇会員)はもっぱら郷里の山を描いている。山というより、空と湖 (あるいは野面)の三位一体を狙っているのだろう。ドローイングのような素早い描線を駆使しながら、北国の冬の、澄み切った 光のただよう凛とした大気をとらえようとする。自然(山の形や光など)の面と線のブレから自然をとりまく時間が浮上してくる。 「冬日」(P25)に惹かれた。
遊馬賢一(昭和25年埼玉県生、愛知芸大大学院修、立軌会同人)の「ヨット日和」(P20)も「ヴェネチアのヨット」(P10)も静かな 絵だ。静かといえば、他の5人も激しさや強さを装いながら、静謐さをまとまっている。緊張感と言い換えてもいい。その点、遊馬は 隠やかであり、何よりも健康的だ。正面性を打ち出し安定感のある画面に、翳りない明るい光が満ちて健やかだ。




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