中野中の足裏庵日記(66) 繊細に、奥深く潜む美−森本宏起展      
2008/11/11記

 『森本宏起氏』

 『妙義山』(F25)

 『冬牡丹』(P25)
某月某日
急に寒くなった。朝晩の冷えこみが強く、陽の出近く、下駄を引っかけて庭へ降りると、さすがに霜柱は未だだが、吐く息が白く見える。暑い暑いと愚痴っていたのがついこの間のことであったのが嘘みたいだ。自然破壊、環境破壊がかまびすしい中で、地球はしたたかに動転していることに、何ゆえだろうか感動する。


某月某日
森本宏起さんの当画廊2年ぶり2度目の個展(11月4日〜14日)が開かれた。生活周辺の身近な景物や花、趣味の山歩きから生まれた風景など、25号から小品まで25点の並ぶ会場は静かで落ちついた雰囲気だ。
それは彼の描写姿勢や描法によっているのであろう。キャンバスに白亜地を下塗りし、テンペラで描き始め、油彩で仕上げるという作品は、その丹念な筆致と相俟って、マティエルはどちらかといえばマットな感じであり、確かではあるがその筆致は決して激しくはない。それが全体に静かな落ちつきを感じさせるのだが、だからといって寂しいことはなく、また軽くもなく、密度は深く充実感をそなえていよう。
何よりも彼の絵を魅力あらしめているのは、描き過ぎていないことにある。精密あるいは緻密な描写によく見られる重苦しさ、押しつけがましさ、あるいは風通しの悪さがなく、筆の収め処の機微によって、日本画や水墨画に謂う<気韻生動>の気配が生まれつつあるように見える。


某月某日
<気韻生動>は、中国・南斉の謝赫(しゃかく)がその著『古画品録』に掲げた有名な画の六法の筆頭に置かれ、次いで骨法用筆、応物象形、随類賦彩、経営位置、伝模移写、の六法となる。
些か理屈っぽくなるが、矢代幸雄によると「気、韻は、画家の高邁なる精神の働き方の種類を意味し、それらの働きによって、自然の形象がそれぞれ特色ある取入れられ方をなして、精神的存在に化成するをいう。気とは〈心髄筆運、取象不惑〉。心のままに渋滞なく一気に筆を運び、象の取り方に困惑なきこと。韻とは〈隠跡立形、備儀不俗〉。描写技法の跡を隠して露骨ならず、描かれたものの儀容が備わっていて、卑俗に陥らざること。」(『水墨画』岩波書店より)と解説している。


某月某日
妙義山(F25)は夕照にたたずむ山容をとりまく空気感の層を感じさせ、「初秋」(F25)は色価(バルール)の重なりによる奥行き、「八ヶ岳みどり池」(M25)は朝陽に映える浄明な爽快感、「反照」(M20)は微妙に変容する色調の美しさ、等々それぞれに見処ろを持った作品たちが並ぶ。
森本さんは、東京芸大油画専攻卒業後、同大学院へ進み、美術研究科油画技法材料修了、1996〜98年イタリア国政府給費留学生として国立フィレンツェ美術学院に留学。そして今でも絵具と技術、技法については大いにこだわって研鑽している。その成果の大きな一つが静かだが奥行きのある空間感、あるいは重層的な空気感をうみだしているのではないだろうか。


某月某日
古典的技法を駆使して如何に今日感をつくりだすか。「人間が創り出せない〈自然〉の中の美、プラス絵具そのものの美」を日本人の細やかな美意識で昇華することがどこまで出来るのか。森本宏起の歩みは休むことを知らない。
(2008.11.11識)



 『反照』(M20)

『山路秋色』(M25)

『八ヶ岳みどり池』(M25)


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