中野中の足裏庵日記(68) 傑作を生む世代−蓬左の風展      
2008/11/19記

『右/柳瀬雅夫氏』

『右/山内大介氏』

『左/山田真二氏』
某月某日
年末に近づくこの時期は例年、原稿の〆切りが繰り上がる。それらの執筆を優先し、師走らしく増える雑事にかまけているうちに、この稿が遅れてしまい、 〈蓬左の風〉展(12月1日〜11日)もすでに終わってしまった。
ようやく筆を執ったものの、イマイチ気合いがこもらない。展覧会の印象はどうしても薄らいでしまい、書くタイミングを失したためにモティベイションもあがらない。 日頃、画家たちに平気で言っているモティベイションの欠如とはこのことかと、我が身に降りかかってあらためて実感している。誠に恥ずかしい限りだ。


某月某日
忙しい時に限って本を読みたくなる。アトランダムに故・洲之内徹の『おいてけぼり』(世界文化社刊)を開いて次の一節が目に入った。
「…(略)絵というものは勉強してだんだんよくなっていくというものでは決してなく、たいていの画家は20代か30代でその画家のビークに達してしまい、あとは、 巧くなるといってもヴァリエーションがあるだけなのだ。巧くはなってもよくはならない。若いときに到達した水準を生涯保ち続けることができればそれが才能だと言えるくらいである。言い換えれば、20代でロクな絵のかけなかったような画家が、刻苦勉励の末、晩年に至って大画家になるというようなことは絶対にあり得ないのであって、むしろ大画家といわれるような人でさえ、終わり頃の作品は若いときの仕事に及ばないというのが普通なのだ。(略)…」


某月某日
ずいぶん、きつい言い様である。もの書きはとかく大仰に、局限的に言う習性があり得がちであり、また時に逆説的であったりもする。だからすべて真に受けることもない。
しかしながら、当然だと納得するだけの心当たりもないわけではない。要するに、夢中でひたすら、無欲で懸命な姿勢が時として思いもしない能力を引き出すことがあるということだ。それは40代でも50代でも必要かつ大切なことだろう。
ただ、自分の才能、というよりも特質には逸早く気付くべきだろう。自分にもっともすぐれていること、それを伸ばし生かすことだ。亀井勝一郎も言っている。「作家は処女作に向って成熟する」と。


某月某日
〈蓬左の風〉展は昨年に続いて2度目。赤塚一三の50代を頭に20代後半から40代前半の若手の会。洲之内さんのいう代表作を生む可能性を持つ人たちだ。がむしゃらに描いているうちに、それはポロッと生まれるのだ。既に生まれていて気が付かないのか、来年生まれるのか。

(2008.12.19識)



 『柳瀬雅夫氏』

『柳瀬雅夫氏』

『山田真二氏』


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