中野中の足裏庵日記(69) 豊かさを増す空間感−大橋みやこ展      
2009/04/06記

『通り one's way 』M30

『メグロヨル』F30

『The view from my room』 M20
某月某日
3年ぶり6回目の〈大橋みやこ〉展(3月23日〜4月4日)が開かれた。2002年から高輪画廊とカナダ国トロント市のベケット画廊で隔年ごとに開いてきた個展に一拍おいての今回の個展である。
この一拍は何だったのか。夢中で走り続けてきた制作をふり返り、次なる制作への充電期間であったであろうし、制作を続けるべく生活基盤との闘いもあったろうし、若い女性ゆえの感情の揺らぎもあって然るべきでもある。誰でも浮世ばなれの生活や制作はあり得ない。日常の悩みや苦労ぬきでの制作はありえない。その中で制作をいかに続行するかが問われる難題なのだ。



某月某日
50PからSMまで20点の出品は、ここ数年比較的多く描かれてきた花の作品から風景作品、それも田園風景から都会風景に移りつつあるような感じを抱かせた。
「石楠花」(M30)のように花の作品も数点出品されていた。いずれもかなりの水準で自身のスタイルが出来上がり、完成度も高い。いずれこの水準を乗り越えることが求められるが、今は彼女自身とりあえずの飽和状態なのかもしれない。
風景作品になっても、彼女の描写手法のベースは変らない。所謂〈ソフト・フォーカス〉である。写実ではあるが、それを基調に対象を精写するのではなく、イメージとして描く。つまり対象に引っぱられてその説明をするのではなく、目に見えたものそのものでなく、いわば残像のようなもの、意識の目に映ったものではなく、感性の網膜に残ったものを咀嚼して吐き出しているといえばいくらかその作品のイメージに近づくだろうか。
左手から木立ちが枝葉を伸ばし、右手から中央奥へ向って家並がボンヤリとパースペクティブをつくる。黒茶や黒紫色などの木影と光のなかに溶けこみそうな家々。この強弱というか、ハード&ソフトのあい間に、西洋理論の遠近のパースペクティブと、水墨などの東洋画でいう空気遠近とでもいう空気層があって、これが作品の深みや奥行きとなって、独特の味を生んでいる。いま〈味〉といったが、こんな危険な言葉は本来は使いたくない。しかし、この〈あわい〉のもつ豊かさが、3年の間の苦闘や苦悩、あるいは転じて描くことの喜びを得た結果の、大きな収穫と思う。


某月某日
蛇足だが、会場での会話でも、居酒屋での話でも自分をかなりはっきり語っていた。この成長が制作に良き影響を与えないわけがない。日々生きて無駄なものなど一つもない。
(2009.04.06識)




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