某月某日
三岸黄太郎展がホームグランドとも言える高輪画廊で2年ぶりの個展(11月2日〜14日)。初日のワインパーティにお元気な姿をみせられたのだが、私はどうにも都合がつけられず残念ながら出席することが出来なかった。パーティでお会いしたからといって、賑やかな集まりの中では十分なお話が出来るわけではないのだが、立話の中での一言二言が貴重なのであり、その穏やかな語り口が心に沁み入ってくるのだ。
某月某日
30号から2号大まで24点、画廊全体に明るい雰囲気が感じられた。昨年、久々にヴェロンに出かけ、南仏まで足を伸ばされたようで、〈南の街〉(M30)などタイトルに〈南〉の付いた作品が何点もあった。〈カーニュ〉(F30)と題する作品もあって、そんな南仏の陽光が作品を明るくしたのかも知れないが、それよりも何よりも体調もよく、気持ちも晴々と楽しく取材旅行が出来た、そんな心の栄えがあったのではなかろうか。
某月某日
〈河にそふ街〉(F12)や〈河ぞいの街〉(F15)にはことに心の華やぎとでもいえるような、明るい色彩の輝きがあふれていた。といっても三岸さんのことだから、原色などをストレートにみせることはしないのだが、重ね合わせた絵具の中から輝き出す発色の、澄明な感じはいままでにあまりなかったように思う。従来のくぐもったような深々とした、あるいは奥にこもらせた色彩の美しさとは明らかに違う、能動的に表に出てくる色彩の華やぎがある。何か自分に課していた十字架をおろしたような、という言いようは些か大袈裟だが、あるいは絵はこうであらねばならないとする規制の枠をゆるやかにしたような、とでも言うのだろうか。長いキャリアの蓄積が生み出した(あるいはこぼれでた)新展開、新境地をさえ思う。
某月某日
小品で、やはりこれまでは見られなかった興味深い作品があった。〈村はずれ〉(F3)がそれで、それぞれ形の違う家を三つ描いたのだが、その構成が実におもしろい。抽象構成にも通うと思うが、そうした絵画がもつ冷たさがない。理論武装した固さがない。それは一つに各家の簡潔なフォルムの温もりのせいであろう。各家がそれぞれ人格をもっているようでさえあり、その3家が寄り合って閑話を楽しんでいるようにも見える。
これなども三岸さんの新しい展開ではなかろうか。
(2009.11.21識)
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『ヴェロンの村』(F2) |
『村はずれ』(F3) |
『河ぞいの街』(F15) |
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