中野中の足裏庵日記(76) 画家の〈素〉が見えてくる       
2010/07/25記


富沢文勝『裸婦』
(41.0×32.0 グワッシュ)


近馬治『踊る』
(45.0×37.5 インク・パステル・グワッシュ)


遊馬賢一『裸婦』
(32.5×24.5 グワッシュ)


某月某日
高輪画廊では毎年この時季に、パリ祭展と素描展を隔年毎に開いている。、ことしは〈素描展〉に当たり(7月20日〜31日)、総勢22名の参加でなかなかの賑わいを見せていた。
それにしても〈素描〉とは一体何なのだろうか。日頃、タブローといい素描といい、使い分けはしているのだが、素描とは何かと真向上段から斬り込まれて、その定義を的確に語ることは案外難しい。そこで『新潮世界美術辞典』を繙いてみた。以下、いささか長くなるが引用する。


某月某日
素描=Dessin(仏)、Drawing(英)、Handzeichnung(独)。
比較的限られた紙面に人物、風景などを、黒あるいはセピアなどの単色の線で、ごく簡素に描きだしたもの。陰影や色彩が施される場合もあるが、主体は線描である。上掲の外国語は相互にニュアンスの相違があり、厳密にいえば日本語の素描とも必ずしも一致しないが、普通にはフランス語のデッサンとほぼ同義に使用されている。 制作の目的ないし動機によって、クロッキー、スケッチ、エスキース、下絵、エボーシュ、カルトン、エテュードなどの名称で呼ばれるが、いずれにせよ素描は本来創作の予備的、準備的段階における副産物であった。しかし近代では特有の芸術的価値が認識され、素描自体を目的とする作品が現われて、独立した絵画の一分野とみなされるようになっている。


某月某日
ということだが、さて、おわかりいただけただろうか。素描とは何か、ハッキリ確認しておきたかったのだが、いろいろな外縁的要素が輻輳しており、簡潔明瞭というわけにはいかない。
主催者は十分そのことを承知であるが故に、今回の〈素描展〉に敢えて《一筆描きのイメージで》という難題をテーマとして課したのであろう。かてて加えて〈色彩を極力おさえ、純粋に線だけの表現〉を要求している。素描にも幅はあるが、出来るだけ簡素に表現して欲しいということだ。シンプル イズ ベスト を求めたのである。


某月某日
このテーマを突きつけられた画家は、どうしたであろう。奮い立った人もいれば、頭を抱えた人もいたであろうし、真っ直ぐに一筆描きを額面通りに受けとめた人もいる。
それは発表された作品によく表れている。ちなみに、よりシンプル、であるために額装も全作されてない。


某月某日
これだけシンプルなのに、非常に興趣深い展覧会となっている。色を施したり陰影を付けた作品もあってバラエティに富んでいたこともあるけれど、本当のところはそんな表面的な多様さによるのではなく、〈素描〉そのものが持つ奥深さ、本質性の魅力によるのだろう。
私は〈自画像〉展を毎年開催しているが、自画像が画家の本質やタブロー制作のコンセプトが垣間見える魅力に対し、素描は画家の《素》が見えてくるからではないだろうか。
何の彼の言っても、詰まるところ〈素描のことは素描に聴け〉ということであろうから。 (2010.07.25)






赤堀尚『横顔』
(17.5×17.3 インク)


桑原正昭『風景』
(40.0×28.0 鉛筆)


赤塚一三『クレルモンフェラン』
(21.1×28.8 インク グワッシュ)



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