中野中の足裏庵日記(84) 第2回 輪の会
2010/04/10記


『赤堀尚 冬薔薇 F4』


『大庭英治 白いテーブルクロス F15』


『横森幹男 赤いバックの静物 F6』


某月某日
人生は芸術作品を模倣する、と言ったのはヒッチコックの友人のアメリカの作家だったか。 確かに、いつか出会った映画やどこかで観た絵や聴いた音楽に、意識的であれ意識下であれ、影響を受けているのであろう。そう生きたいと真似ているのかも知れない。 そして一生懸命に模倣することで、自分が見えてくるのだろう。自分らしさがわかり、次第に自分の独自性や個性が生まれてくる。 以下は私の謂だが、独自性や個性がうまれ人生を育んでいると、こんどは逆に芸術作品は人生を模倣するようになる。つまり人生が心の壁に刻んだ陰翳(即ち個性)が作品に投影されるということだ。そして作品の深まりや味わいがその人らしさになってくる。


某月某日
〈輪の会〉の第2回展が開かれた(3月29日~4月9日)。メンバーは赤堀尚先生を中心に、東京芸大出身の60才代、かつ立軌会出品者たちである。芸大時代に赤堀先生に出会って刺激を受けた人たちであり、画業のスタート時に大きな影響を受けた面々である。
赤堀先生は80才を超えられてなお矍鑠(カクシャク)、昨年秋の個展(日本橋高島屋)は印象に新しいところだ。 赤堀作品といえば、エネルギッシュで力強いというイメージがある。伝聞によれば、氏のアトリエには「一にフォルム/二にフォルム/三にフォルム《と書かれた紙と、「無理に絵を作らぬ事《と書かれた紙の2枚が貼ってあるらしい。言わば〈座右の銘〉である。
しかし、考えてみると、この二つは些か矛盾するのではないかと思われる。構図への配慮は当然絵づくりにつながるし、構成を念頭においてああも激しくエモーショナルになり得るものだろうか。このことを追求していくと長大な論考になりそうであり、私には力上足であるから、一気に結論めいたことを言えば、自身の生き様、絵画への情熱、つまり生のエネルギーと対象が重なり合った瞬間をとらえることで、すべてを越えてしまっているのであり、だからこそ赤堀絵画の独自の世界が顕現するのだ。


某月某日
今に私淑し裨益を受けている4人とは、大庭英治、横森幹男、金子滇、山本治の各氏である。各3~5点、20号からSMの出品。
大庭は室内景や卓上静物を色面構成に還元し抽象化し、同系統の微妙な色味や明彩度の変化のなかからイメージを喚起させる。優しい色合いに深味が増してきた。
横森は筆致の強さや色合いでは赤堀に近いように見えるが、静物の構成や色調にバランスを微妙に壊そうとする緊張感があり、作品の訴求力を高めている。
金子滇はもっぱら人物を対象とし、テンペラの透明感ある冴えた色感が持ち味。完成度では「真珠の耳飾り《(4号)をとるが、「春汀《(20号)の伏せる女性の構成と黄色の広がりに惹かれた。
山本治は花と風景の4点。色遣いの洗練さに惹かれる。「赤い屋根《(20号)の中央空間の間のとり方などはちょっと真似のできないセンスか。花の作品には肖像画をみるような趣きがある。


某月某日
4吊の作品は、時分を得てそれぞれの画家人生の模倣をはじめ出している。  (2011.04.10識)







『金子滇 真珠の首飾り テンペラF4』


『山本治 赤い屋根 F20』



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