- 更新2010/09/10
三岸節子 鑑定

三岸節子の鑑定及び著作権者は三岸太郎になります。鑑定日は毎月最終土曜日です。
詳細はこちらをご覧下さい。鑑定

三岸節子写真

- 更新2011/05/17
2011年4月21日(木)NHKラジオ第一「ラジオ深夜便」で放送がありました

チャンネル:NHK ラジオ第1
放送日: 2011年4月21日(木)
放送時間:翌日22日午前1時台
番組タイトル:ラジオ深夜便
アンカー:迎康子

午後1時台 わが心の人 「画家・三岸節子」
     画廊経営者…三岸太郎  (三岸節子の孫)

三岸節子 ラジオ深夜便

- 更新2011/06/10
2011年 三岸節子 「東日本大震災復興支援 チャリティー企画」

1945年8月15日終戦の日から1ヵ月後、三岸節子は焼け野原となった東京の被災をまぬがれた銀座の画廊で個展を開きました。
それは日本の美術界にとっては戦後最初の記念すべき個展となりましたが、
節子にとっては戦後の日本人に手向けた花でもありました。
この度の東北・関東大震災にみまわれた日本に節子の花とエネルギーを手向けたいと思います。

4/11(月) 〜4/28(木)の三岸節子展の会期中に限り、 三岸節子のリトグラフ「赤い花」(※シートのみ)通常¥360.000(税込)を特別価格¥100.000(税込)にて販売し、売上金額は日本赤十字社を通じて全額寄付させていただきました。
東北地方太平洋沖地震復興支援 チャリティー企画 三岸節子リトグラフ 赤い花

- 更新2011/04/17
2011年4/11(月) 〜4/28(木)三岸節子展 「東日本大震災復興支援 チャリティー企画 第2弾」

♪被災地支援 チャリティーコンサート ハープとチェロのDUO♪

4月16日(土)17:00開場17:30開演
ハーピスト:福本しのぶ
チェリスト:藤見清加
入場無料。
会場に設けました募金箱に皆様の温かいご支援ご協力を頂き感謝申し上げます。 お預かりしました募金は全額、日本赤十字社を通じて被災地の復興支援に役立て頂きます。


曲目:アヴェマリア グノー/白鳥 サン・サーンス/無言歌 メンデルスゾーン/亡き王女のためのパヴァーヌ ラヴェル/無伴奏チェロ組曲 第一番より/トロイメライ シューマン/ノクターン ベリーニ/リベルタンゴ ピアソラ
アンコール:アヴェマリア ピアソラ/ふるさと 観客合唱と共に


福本しのぶ 藤見清加 
福本しのぶ(ハープ)
フランス・ニース生まれ。
9歳で若手音楽家の登竜門UFAM国際コンクール・ジュニア部門1位(審査員満場一致賞)。
1992年、同コンクール上位部門1位なしの2位。
1993年、パリ・ラフマニノフ音楽院卒業後日本へ。
慶應義塾大学卒業後社会人経験を経て音楽活動を再開。
2003年、パリ・エコールノルマル音楽院ハープ科卒業。
2005年12月、サントリーホールにて日本デビュー。画家である父、福本章とのコラボレーションである1stDVD「響き−harmonie−」を発売。
ハープをアネット・パルマンティエ、マリ-クレール・ジャメ、フレデリック・カンブルリン、フランシス・ピエールに、室内楽をマリーピエール・ソマ、フランシス・ピエールに師事。
現在は東京・パリを拠点に演奏活動を行う。
福本しのぶホームページはこちらをご覧下さい。

藤見清加(チェロ)
慶応義塾大学在学中、19歳よりチェロを始める。
同大学卒業後、京都市立芸術大学音楽学部を経て、
フェリス女学院大学音楽学部ディプロマコースを修了。
第29回東京国際芸術協会新人オーディションに合格。
ひたち室内楽フェスティバル推薦団体コンサートに出演。
チェロを金木博幸、上村昇、井上雅代に、室内楽を名倉淑子、W. ベルチ、R.ホフマンの各氏に師事。
現在、洗足学園ニューフィルハーモニック管弦楽団補助団員。

福本しのぶ チャリティーコンサート ハープとチェロのDUO1 福本しのぶ チャリティーコンサート ハープとチェロのDUO2  福本しのぶ チャリティーコンサート ハープとチェロのDUO3

- 更新2010/09/10
2010年 三岸節子 仏蘭西日記 カーニュ編 (1968〜1971年)刊行

『三岸節子 仏蘭西日記 カーニュ編 (1968〜1971年)』が出版されました。
当画廊にて販売しております。(※書店ではお買い求めいただけません)
  398頁 定価:2300円(税込)(尚、送料はレターパック350円のご負担をお願いいたします。)

三岸節子(1905−1999)が94歳で亡くなり10年を迎えます。
記念に『没後10年記念 三岸節子展 心の旅路〜満開の桜のもとに』が全国4箇所を巡回し開催されることになりましたが、その準備で節子のアトリエを調査した際に、フランス・ヴェロンと神奈川県大磯のアトリエで63歳からフランスに渡って風景画に挑戦した日々をつづった数十冊の日記帳を発見しました。

今回の「仏蘭西日記 カーニュ編」では、昭和43(1968)年12月20日羽田を出発する日から、46(1971)年12月31日までの3年間を発表することになりました。
節子のカーニュでの日々の生活の葛藤が赤裸々に綴られ、「本物の風景画家」になりたいという決意と望郷の思い、節子の絵画にかける情熱を伺うことが出来ると思います。

”絵を描くことは、長く遠くはてしない孤独との戦いである。
あるときはよしとし、あるときは絶望におちいる。一喜一憂。”
三岸節子仏蘭西日記 カーニュ編 (1968〜1971年)

- 更新2010/09/10
女子美術大学創立110周年記念 「三岸節子 没後10年 記念シンポジウム」

女子美術大学創立110周年記念
「三岸節子 没後10年 記念シンポジウム」

日時:2010.10.24(日)15:00〜16:30
場所:女子美術大学相模原キャンパス 2号館224番教室 詳細はこちらをご覧下さい。

出演者
ゲスト:三岸太郎(三岸節子画伯の孫・当画廊代表)
司会:東真理子氏(朝日新聞社文化事業部企画委員)
パネリスト:野見山暁治氏(洋画家・東京藝術大学名誉教授・文化功労者)
  土方明司氏(美術史家・平塚市美術館館長代理)
  佐野ぬい氏(女子美術大学・女子美術大学短期大学部学長)
女子美術大学創立110周年記念 「三岸節子 没後10年 記念シンポジウム」

- 更新2010/09/10
youtubeより 三岸節子

女流画家 三岸節子の息吹

女流画家 三岸節子

女流画家 三岸節子

- 更新2010/06/14
2010年 【没後10周年記念 三岸節子展 心の旅路〜満開の桜のもとに】

3/31(水)〜4/19(月)大阪:大阪高島屋 7階グランドホール
 ギャラリートーク:3/31日(水)午後2時 三岸太郎(孫)

4/22(木)〜5/10(月)東京:日本橋高島屋 8階ホール
 ギャラリートーク:4/22日(木)午後2時 三岸太郎(孫)
 ギャラリートーク:5/01日(土)午後2時 女子美術大学学長・佐野ぬい氏

6/08(火)〜7/04(日)岡山:岡山県立美術館
 ギャラリートーク:6/08日(木)11:00〜・14:00〜 三岸太郎(孫) 
 スライドトーク :6/13(日)13:00〜 三岸太郎(孫) 「三岸節子ヨーロッパでの生活と旅へのいざない」 
 学芸員によるギャラリートーク:6/13日(日)・26日(土)両日とも14:00〜 
 記念講演会:6/19(土)14:00〜 講師:鍵岡正謹(美術館館長)
 美術の夕べ:6/25(金)18:00〜 講師:美術館学芸員 

7/07(水)〜8/01(日)名古屋:松坂屋美術館
 ギャラリートーク:7/07日(水)14:00〜 三岸太郎(孫)
 ギャラリートーク:7/17日(土)14:00〜 女子美術大学学長 佐野ぬい氏

主催:朝日新聞社・岡山県立美術館(岡山会場のみ)・松坂屋美術館(名古屋会場のみ)
協力:女子美術大学・北海道立三岸好太郎美術館・一宮市三岸節子記念美術館

4/12(月) 〜4/24(土):銀座高輪画廊にて油彩・素描等20余点の三岸節子展を共催しました。

『大阪高島屋 7階グランドホール』 『グアディスの家』 『花 軽井沢にて』(F3)
三岸節子展1 三岸節子展2 三岸節子展3

写真左上より
大阪高島屋 7階グランドホール
《グアディスの家』1988年 83歳(豊橋市美術博物館蔵)
《花 軽井沢にて》1962年 57歳(韮崎大村美術館蔵)
高輪画廊、三岸節子展会場風景

大阪高島屋 ギャラリートーク 三岸太郎氏 大阪高島屋 サイン会 三岸太郎氏 大阪高島屋 ギャラリートーク 三岸太郎氏
日本橋高島屋 8階ホール 日本橋高島屋 8階ホール 日本橋高島屋 8階ホール

写真上左より
3/31 大阪高島屋 7階グランドホールにて、孫の三岸太郎によるギャラリートーク&『三岸節子 仏蘭西日記 カーニュ編 (1968〜1971年)』発売を記念してのサイン会がありました。(それぞれの写真をクリックしていただくと大きく表示されます。)

4/22 日本橋高島屋 8階ホールにて、孫の三岸太郎によるギャラリートーク&『三岸節子 仏蘭西日記 カーニュ編 (1968〜1971年)』発売を記念してのサイン会がありました。(それぞれの写真をクリックしていただくと大きく表示されます。会場出口には節子グッズも並んでおります。

岡山県立美術館 地下1階展示室  ギャラリートーク 三岸太郎 岡山県立美術館 地下1階展示室  三岸太郎 岡山県立美術館 地下1階展示室  三岸太郎
岡山県立美術館 地下1階展示室  岡山県立美術館 地下1階展示室  岡山県立美術館 地下1階展示室
岡山県立美術館 地下1階講義室  岡山県立美術館 地下1階講義室  岡山県立美術館 地下1階講義室

写真上左より
6/8 岡山県立美術館 地下1階展示室 にて、孫の三岸太郎によるギャラリートーク&『三岸節子 仏蘭西日記 カーニュ編 (1968〜1971年)』発売を記念してのサイン会がありました。(それぞれの写真をクリックしていただくと大きく表示されます。)
岡山会場では、三岸節子が愛用していたパレット・クレパス・デッサン帳・素描50点が特別展示されました。
6/13 岡山会場、地下1階講義室にて、孫の三岸太郎によるスライドトークが行われました。


- 更新2010/05/10
2005年 【三岸節子 生誕100年記念展 永遠の花を求めて 】

三岸節子 生誕100年記念展 永遠の花を求めて
初公開の19歳の自画像から、63歳で渡仏した後のヨーロッパの風景画、最晩年の花の絵まで、代表作約80点を展示。
絵に対する思いを綴った日記の言葉も、初めて紹介されました。

4月11日〜4月28日:高輪画廊 三岸節子生誕100年記念展

4月19日〜5月01日:日本橋三越本店  主催:朝日新聞社
5月04日〜5月16日:大阪なんば高島屋 主催:朝日新聞社
6月29日〜7月18日:名古屋・松坂屋美術館 主催:朝日新聞社・名古屋テレビ放送・松坂屋美術館
7月23日〜9月11日:神奈川県・平塚市美術館 展示室T主催:平塚市美術館・朝日新聞社・神奈川新聞社
9月17日〜10月26日:北海道立三岸好太郎美術館 主催:北海道立三岸好太郎美術館・朝日新聞社
11月3日〜12月18日:愛知県・一宮市三岸節子記念美術館 主催:一宮市三岸節子記念美術館・朝日新聞社

《エジプトの鷹》1967年 《雷が来る》 1979年 《ブルゴーニュにて》  1989年
《《タオルミナのテアトルより》 1989年 《さいたさいた桜がさいた》 一宮市三岸節子記念美術館外壁ポスター

写真左上より
《エジプトの鷹》 1967年 130×161cm 新制作協会第31回展 東京国立近代美術館蔵
《雷が来る》 89×116 1979年 第12回潮展 名古屋市美術館蔵
《ブルゴーニュにて》 1989年 1989年三岸節子展 一宮市三岸節子記念美術館蔵
《タオルミナのテアトルより》 1989年 1989年三岸節子展 ウッドワン美術館蔵
《さいたさいたさくらがさいた》 130×160cm 1988年 パリ展帰国記念三岸節子展 一宮市三岸節子記念美術館蔵
2005年一宮市三岸節子記念美術館外壁ポスター


- 更新2010/05/10
2005年 ”【NHK 新日曜美術館】にて−三岸節子 ヨーロッパへの挑戦−放送”

【NHK 新日曜美術館】にて−三岸節子 ヨーロッパへの挑戦−放送致しました。
教育:2005年4月24日・日曜 午前9時〜10時 午後8時〜9時(再)
BShi:2005年4月25日・月曜 午前0時〜1時(日曜深夜)

【TV東京 美の巨人たち】 2005年5月14日放送しました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/050514.htm

下の写真はNHKの撮影風景です。(クリックで大きくなります)

『NHK撮影風景』 『NHK撮影風景』 『NHK撮影風景
『NHK撮影風景』 『NHK撮影風景』 『NHK撮影風景
 

「2時に目が覚めて眠れず、ゴルゴーニュの麦畑をいかに描くか、さまざまに思いめぐらす。これが出来なければ、成功しなければ、個展の目が出ないだろう。渾身の勇気、熱意を込めて格闘である」(日記、1979年・74歳)
「私の描く作品は、花にしても静物にしても、風景にしても、作品を描きすぎる。……10枚の作品を1枚に凝集する。それが出来なければボンクラの画家で終わるのみである」(日記、1975年・70歳)

 来年生誕100年を迎える画家・三岸節子(1999年没)。大規模な展覧会開催を前に、晩年20年あまりフランスに滞在して「本物の画家」になろうと苦闘した時期の、真情を克明に綴った日記の存在が遺族の協力で明らかになった。
 戦前、異色の画家・三岸好太郎の妻として互いに影響を与えあい、夫の死後も画壇の第一線にたち続け、戦後早々、美術界初の個展を開き、1951年にはサンパウロ・ビエンナーレの日本代表に選ばれるなど、功成り名を遂げて60代の老境にさしかかっていた三岸節子は、1968年、突然「日本への訣別」を宣言し、息子一家を引き連れて渡仏する。
以来20年あまり、病を得て84歳で帰国するまで、滅多に訪れる人もないフランスの片田舎に居を定め、ひたすら制作に打ち込む。
 南仏、ブルゴーニュ地方、ヴェニス、スペイン、シシリー島……名所絵はがきに終わらない風景画を描くため、精力的な取材旅行を繰り返しながら、「本物の油絵を描く」ことに心血を注いだ三岸。その壮絶な戦いの日々が、今回の日記公開によって初めて明らかにされる。
 番組では、日記をはじめ、残されている滞仏時代の膨大な写真、そして小学生時代から三岸と生活を共にし、取材旅行にも必ず同行した孫の太郎氏の証言などを交えて、ヨーロッパに挑み、本物の画家になろうとした戦いの日々を再現する。


以上−NHK 新日曜美術館 番組ホームページより− http://www3.nhk.or.jp/omoban/


- 更新2010/05/10
2003年 【三岸節子 花より花らしく展】

名古屋市美術館 三岸節子 花より花らしく展
2003年 8月30日(土)〜10月26日(日)

《夜の縞馬》 38.2×6302 1936年 《鳥と琴を弾く埴輪》 1957年 《二つの太陽》 1968年
《白い花(ヴェロンにて)》 1989年 会場風景 会場風景

《夜の縞馬》 38.2×6302 1936年 七彩会第1回展 一宮市三岸節子記念美術館
《鳥と琴を弾く埴輪》 1957年 一宮市三岸節子記念美術館
《二つの太陽》 1968年 名古屋市美術館蔵
《白い花(ヴェロンにて)》 1989年 一宮市三岸節子記念美術館
会場風景
会場風景


- 更新2010/05/10
1998年 一宮市 三岸節子 記念美術館

1998年(平成10)11月、一宮市三岸節子記念美術館(旧:尾西市)が開館しました。

名称:一宮市三岸節子記念美術館(旧:尾西市)
URL:http://s-migishi.com/
住所:〒494-0007 愛知県一宮市小信中島字郷南3147-1
TEL:0586-63-2892 FAX:0586-63-2893

尾西市三岸節子記念美術館 尾西市三岸節子記念美術館 尾西市三岸節子記念美術館

- 更新2010/05/10
三岸節子 略歴・経歴
Date History
1905(明治38)1/3 吉田永三郎、菊の四女として愛知県中島郡起町字中島(現在の尾西市)に生まれる。(本名・節)。先天性股関節脱臼で6歳のとき手術をする。生家は富裕な地主であった。
1920(大正9)15歳 この年、不景気により父の織物工場が破産。
1921(大正10)16歳 名古屋の淑徳高等女学校を卒業。上京して遠縁の紹介で洋画家岡田三郎助のアトリエに通い、指導を受ける。
1922(大正11)17歳 女子美術学校(現在の女子美術大学)2学年に編入学。
1924(大正13)19歳 女子美術学校を首席で卒業。9月、三岸好太郎と結婚。
1925(大正14)20歳 3月長女陽子を出産する。春陽会第3回展に《自画像》など4点を初出品、初入選。のち第9回展まで毎回入選を重ねる。甲斐仁代、深沢紅子ら女子美術学校の出身者とともに婦人洋画協会を結成する。
1928(昭和3)23歳 3月次女杏子を出産する。
1930(昭和5)25歳 9月長男黄太(現:黄太郎)を出産する。
1932(昭和7)27歳 春陽会を離れ独立美術協会第2回展(東京府美術館)に入選。(以後第9回展まで出品)
1934(昭和9)29歳。7.1 夫好太郎が名古屋で急死。享年31歳。
1935(昭和10)30歳 最初の個展、三岸節子個展を大阪・美術新論社画廊で開催。
1936(昭和11)31歳 長谷川春子、藤川栄子ら女性画家6名とともに七彩会を結成。独立美術協会会友となる。
1939(昭和14)34歳 独立美術協会を離脱、佐藤敬のすすめで新制作派協会に会員として迎えられる。
1940(昭和15)35歳 東朝鮮・中国東北部を旅行。三岸節子個展をソウル・丁子屋で開催。
1945(昭和20)40歳 三岸節子個展を銀座・日動画廊で開催(東京で開催された戦後初の個展)
1947(昭和22)42歳 女流画家協会の創立に発起人として参加、女流画家協会展に第4回展まで出品。
1948(昭和23)43歳 菅野圭介と別居結婚という形で再婚(1953年に解消)。
1951(昭和26)46歳 《金魚》が昭和25年度文部省買上げ美術作品に決定。
《静物(梔子)》で昭和25年度芸能選奨文部大臣賞を受賞。
1954(昭和29)49歳 3月、初めて渡仏する。長男黄太郎の住むパリに滞在。秋、スペインを旅行。10月、南仏カーニュに滞在。 三岸節子滞仏作品展を銀座・兜屋画廊で開催。
1955(昭和30)50歳 5月、イタリアを旅行ののち、帰国。三岸節子滞仏作品展を銀座・兜屋画廊で開催。
1964(昭和39)59歳 神奈川県大磯町の山荘に転居。
1967(昭和42)62歳 好太郎の遺作220点を北海道に寄贈。
1968(昭和43)63歳 12月、長男黄太郎一家とともに渡仏、南仏カーニュに定住。南仏の風景を題材に風景画を制作。
1969(昭和44)64歳 女流美術家による総合展「潮」の結成に参加。(第15回展まで出品を重ねる) 以後「潮」展を中心に滞欧作品を発表。
1974(昭和49)69歳 「三岸節子展〈花とヴェネチア〉」がパリ・ギャルリーためながで開催される。この展覧会の成功により、さらにフランスに留まることを決意。 ブルゴーニュ地方の小村ヴェロンに農家を購入し、移住。
4月、個展のため一時帰国(翌年5月渡仏)。 「三岸節子展〈花とヴェネチア〉」が日本橋・三越本店で開催された。
1976(昭和51)71歳 月、病気のため一時帰国、大磯で静養(8月渡仏)。
1977(昭和52)72歳 名古屋・ヒマラヤ美術館が開館、三岸節子作品室を設置。
1978(昭和53)73歳 燦々会第9回展に出品。
1980(昭和55)75歳 「三岸節子展〈花と大地〉」がパリ・ギャルリーためながで開催される。三岸節子展〈画業55年の歩み〉が日本橋・三越などで開催され、100点余りの作品が出品される。
一時帰国。 三岸節子新作展〈花とブルゴーニュ〉」が名古屋松坂屋で開催され、新作を出品。 第4回長谷川仁賞を《トネールの白い川》で受賞する。
1981(昭和56)76才 「三岸節子滞欧作品展」が大阪・梅田画廊で開催され、新作を含む36点を出品。
1982(昭和57)77歳 春、過労のため倒れる。秋、フランスから帰国。 「三岸節子〈花〉展」が銀座・日動画廊で開催される。
1983(昭和58)78歳 第15回潮展に3点出品(最終展)。 7月、腸の手術のため東京・順天堂病院に入院。退院後、大磯で静養。
1985(昭和60)80歳 回顧展「三岸節子展」が神奈川県立近代美術館などで開催される。
1986(昭和61)81歳 秋の叙勲で勲三等宝冠章を受賞。
1987(昭和62)82歳 スペインのアンダルシア地方に滞在、スペイン連作の制作を開始。
1988(昭和63)83歳 尾西市名誉市民となる。「三岸節子展」がパリ・ギャルリーためながで開催される。
1989(昭和64
平成元年)
84歳 「三岸節子展」が日本橋・三越本店などで開催され、近作・新作73点を発表。
フランスから帰国、大磯のアトリエで制作活動に取り組む。
1990(平成2)85歳 (60年余の画業と女性画壇の向上に努めた功績により)1989年度朝日賞を受賞。
1991(平成3)85歳 「三岸節子展〈画業65年〉」がアメリカ・ワシントン女性芸術美術館で開催された後、日本各地を巡回。
1992(平成4)86歳 「三岸好太郎と三岸節子展」が北海道立三岸好太郎美術館、新宿・三越美術館などで開催される。
1994(平成6)88歳 女性洋画家として初めて文化功労者となる。「尾西市制40周年記念三岸節子展」が尾西市歴史民俗資料館で開催される。
1996(平成8)90歳 画業70年を記念する「三岸節子展」が渋谷・東急百貨店などで開催される。
1997(平成9)91歳 「三岸節子素描展〈旅へのいざない〉」が日本橋高島屋などで開催される。
1998(平成10)92歳 大規模な回顧展、「三岸節子展」がパリの三越エトワールで開催される。(日本にも巡回)。 11月、尾西市三岸節子記念美術館が開館。
1999(平成11)93歳 4/18 急性循環不全のため、大磯の病院で死去。94歳。

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